あるショッピングサイトに会員登録をしていたのだが、そこに「永遠の一冊」を書く欄があった。 「永遠の一冊」、つまり、自分にとっての一冊の本のことだろうが、それを言われるとちょっと困る。
ずっと前に、この日記にも書いたのだが、10年位前だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。 それを読んでハタと思った。 「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」 そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。 そう、全部繋がっているのだ。 今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。 そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。 しかしぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。(2002年7月1日) ということだから、これまでに読んだ本全部ということになる。 今残っている本だけでも、自宅に書棚8台、実家に書棚3台、さら学生時代に読んだ本が段ボール箱10個分もあるのだ。 これまでに読んだ本全部が一冊なのだから、全部書き込めるわけがない。 そこで、その欄に書き込むのはやめることにした。
そうそう、本で思い出したことがある。 何日か前に、小学校時代の友人が職場を訪ねてきた。 何しに来たのだろうと思っていると、彼は手に持っていたビニール袋をぼくに手渡した。 「何、これ?」 「いや、前に借りとった本」 「え?」 「机を整理していたら出てきたんよ」 袋の中を覗いてみると、遠藤周作の小説と、自己啓発書が入っていた。 どちらもえらく黄ばんでいる。 それもそのはず、その本を貸したのは、20年近く前である。
その後、その友人と昔話をしていたのだが、その時ふと、ぼくはあることを思い出した。 何かというと、その友人に貸した本のことである。 実は、その友人に貸している本は、先に書いた本だけではなかったのだ。 小学3年生の頃だったと思うが、その友人に本を貸した覚えがある。 その本がまだ戻ってきてないのだ。
しかし、そのことは彼には言わなかった。 仮に、「小学3年生の頃、おまえに貸した『別冊少年サンデー』はいつ返すんか?」と言っても、彼は覚えてないだろう。 ちなみに、その別冊少年サンデーは『おそ松くん』の特集号だった。 なぜそんなことを覚えているのかというと、『おそ松くん』は、当時ぼくの「永遠の一冊」だったからだ。
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