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2005年10月29日(土) 永遠の一冊

あるショッピングサイトに会員登録をしていたのだが、そこに「永遠の一冊」を書く欄があった。
「永遠の一冊」、つまり、自分にとっての一冊の本のことだろうが、それを言われるとちょっと困る。

ずっと前に、この日記にも書いたのだが、

10年位前だったろうか、ある本を読んでいると、「人には一冊の本が備わっている」ということが書いてあった。
それを読んでハタと思った。
「そうか、今まで一冊の本を探していたけど、自分にとっての一冊の本とは一生のうちに読む全部の本のことだ」
そういえば、ぼくは本を探す時、前に読んだ本で紹介されたものや、その本に関連あるものを探している。
そう、全部繋がっているのだ。
今日読む本が、「一冊の本」の中の一部というわけだ。
そのことを悟ってから、ぼくは「一冊の本」というのにこだわらずに、読書を楽しむようになった。
しかしぼくの「一冊の本」というのは、実に膨大な量である。(2002年7月1日)
ということだから、これまでに読んだ本全部ということになる。
今残っている本だけでも、自宅に書棚8台、実家に書棚3台、さら学生時代に読んだ本が段ボール箱10個分もあるのだ。
これまでに読んだ本全部が一冊なのだから、全部書き込めるわけがない。
そこで、その欄に書き込むのはやめることにした。

そうそう、本で思い出したことがある。
何日か前に、小学校時代の友人が職場を訪ねてきた。
何しに来たのだろうと思っていると、彼は手に持っていたビニール袋をぼくに手渡した。
「何、これ?」
「いや、前に借りとった本」
「え?」
「机を整理していたら出てきたんよ」
袋の中を覗いてみると、遠藤周作の小説と、自己啓発書が入っていた。
どちらもえらく黄ばんでいる。
それもそのはず、その本を貸したのは、20年近く前である。

その後、その友人と昔話をしていたのだが、その時ふと、ぼくはあることを思い出した。
何かというと、その友人に貸した本のことである。
実は、その友人に貸している本は、先に書いた本だけではなかったのだ。
小学3年生の頃だったと思うが、その友人に本を貸した覚えがある。
その本がまだ戻ってきてないのだ。

しかし、そのことは彼には言わなかった。
仮に、「小学3年生の頃、おまえに貸した『別冊少年サンデー』はいつ返すんか?」と言っても、彼は覚えてないだろう。
ちなみに、その別冊少年サンデーは『おそ松くん』の特集号だった。
なぜそんなことを覚えているのかというと、『おそ松くん』は、当時ぼくの「永遠の一冊」だったからだ。


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