【1977年1月29日】 (1) 明日、市議会議員選挙があります。 もう数日前からやかましくて、勉強一つ出来ないのです。 まあ、それはいいにしろ、今日ある候補者が面白いことを言っていました。 「住みよい町づくり」だとか、「静かな環境づくり」だとか。 もう裏切ってるんですね。
(2) 今日、聴くのをやめていたボブ・ディランを、久しぶりに聴きました。 なぜ聴くのをやめていたのかと言いますと、ぼくは人の癖をもらう癖があるので、癖のあるものは見たくない、聴きたくないとなっていたのです。
ところが今日、部屋を真っ暗にして目を瞑っていたら、頭の奥の方でディランの『トム・ストーン・ブルース』が繰り返し鳴っているのに気がついたんです。 そこで、古いレコードを引っ張り出しまして、その『トム・ストーン・ブルース』を聴いたのです。 やはり、ディランの歌には愛着があります。 でも、ずっと聴いているうちに、ディランにはなりたくないという気持ちになってしまいます。 「他人を真似て何になる?」 いつもぼくの心の中には、この言葉があります。 ということで、やることなすこと(そういえば顔まで)ディランに変えてしまったバカな人たち、尊敬します。
【1977年2月12日】 真夜中、ようやく勉強を終えた。 今、昔懐かしい歌が、部屋の中に流れている。 この歌を初めて聞いたのは、まだあの人が近くにいた頃だった。 あの頃は活発だった。 何事に対しても明るくいられた。
そういえば、この間の同窓会で、友人から「おまえは相変わらず陽気だなあ」と言われた。 傍目からそう見えるのかもしれないが、心の中はそうではない。 考えてみると、あの頃は、心の中も晴れやかだったのだ。 『青春』というものが存在するとしたら、おそらくあの頃がその時期だったのだろう。
実に攻撃的な春だった。 何ごとも振り返らずにやっていた。 ずいぶん人の心を傷つけただろう。 だけど、ぼくは気にしなかった。 そういう時期ではなかったのだ。 人とのつきあいの中で、いつも刺激を求めていたのだ。
さて、そういった日々も修学旅行を頂点にして終った。 ちょっと疲れたのだ。 それがいけなかった。 刺激を求めることをやめて、馴れ合いの毎日を過ごしだしたのだ。
ある時、昔からぼくを知っている人から、 「今のあんたと昔のあんたを比べると、(行動の)出発点がまったく違っているように思える。かつてのあんたは、いつも一人で何かやって問題を起こしていた。それをおもしろがって、人がついてきたもんだ。ところが、このごろのあんたを見ていると、そういうおもしろがる人の中に身を置いてしまっているような気がする」と言われた。 『そういえば…』と思い当たることがあった。 が、その時は「それだけ大人になったんよ」と口を濁らせていた。
まあ、その時はそれで終わったのだが、時が経つにつれて、その言葉が重くぼくにのしかかってきた。 それが高校3年の頃からずっと続いている。
自分の行く方向も定まらず、ただブラブラしているだけの今日この頃、今が出発点だとは思うのだが。
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