【1976年10月4日】 予備校が終ったあとで、駅前書店に行った。 面白そうな本はないかと思って探していたのだが、見あたらなかった。 しかたなく帰ろうと思い、外に出た。 その時だった。 見たことのある人が通っていて、「ふふ」と口を押さえて過ぎていったのだ。 ハッと気がついて後ろを振り向いたのだが、もう誰もいなかった。 考えてみると、高校を卒業してから、ずっとこんな毎日が続いているような気がする。 ‥‥‥。
※後に、この日記を引用して歌を作ったのだが、それでは、 『見たことのある人が、 笑いながら過ぎていった 振り返ってみても誰もいない ねえ、これが毎日なんだ』 となっている。
【1976年10月12日】 いかさま師がたくさんいる。 いや、ぼくの周りのほとんどがそうだ。 前後左右、みんなみんな嘘の塊だ。 こういう人たちを『偽者』という。 彼らはその態度を利益に結びつけようと考えているんだ。 だが、そうはいかない。
【1976年10月16日】 今日、井筒屋(地元のデパート)の屋上で約2時間、黙りこくって座っていた。 いろんな人が入れ替わり立ち替わり、ぼくの前を過ぎていった。 やくざらしき人、女子学生、小学生、子連れ夫婦、カメラを持って何かを待つ人、パイプをくわえた人、杖をついたじいさん、その孫、疲れた労働者、画家らしき人、デパートガールと一人の男…。
※かつて、デパートの屋上のベンチに行くと、いつも多くの人が腰掛けていたものだ。 そこには、ソフトクリームを食べている人、恋を語らっている人、待ち合わせをしている人などがいた。 そういう人に交じってぼくも座っていたのだが、何をやっていたのかというと、ずっと下の道路を見ていただけである。 つまり、暇だったわけだ。
【1976年10月19日】 今日もまた、井筒屋の屋上にいた。 それにしてもアベックの多いこと。
歯医者に行った帰りに、Tと遇った。 半年ぶりだ。 Tは高校時代と比べると、少し痩せたように思えた。
※T君とは、それ以来29年間会っていない。 もう顔も忘れた。
【1976年11月14日】 自分の中にある『偽者』とか、『虚栄心』『名誉心』といったものに、いつもあきれさせられている。 こう聞く。自分の欠点を気にしていると、もし同じ欠点を持った者に出くわした場合、我が心中は乱れ、その人に嫌悪感を抱くようになるものだと。 こういう心境にさせられる人間が、ぼくの周りには実に多くいる。 まあ、逆に考えたら、そういう人たちもぼくのことを嫌悪しているのだろう。
【1977年1月10日】 ぼくは、真面目で不良で、陽気で陰気で、温かくて冷たくて、熱しやすく熱しにくく、大胆で臆病で、積極的で消極的で、普通の人で変わった人で、正常で気違いで、活発で大人しく、外向的で内向的で、鋭くて鈍くて、時に真面目で時にいいかげんで、…。 もうとりとめがないのです。
元々そんなとりとめのない性格なのかというとそうではなく、実はそういう人だと他人に見せて、遊んでいるだけなのです。 それも、ある一面だけでは面白くないので、毎日毎日違った自分を、その時の気分で組み合わせて見せています。 だから強いぼくしか知らない人や、普通のぼくしか知らない人や、弱いぼくしか知らない人が出てくるわけです。
きっとこういう人間は、いつまでたっても成長せずに、人に非難され、バカにされるのでしょうね。
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