夏のどこがいいのかというと、やはり何と言っても、裸でいれることである。 ぼくは夏になると、家ではほとんどパンツ一枚で過ごしている。 小さい頃から、夏はずっとこうである。 当時はエアコンなんてなかったので、こうするしか涼をとる方法がなかった。 これはぼくだけでなく、近所の人もみなそうで、子供はもちろん、おっさんたちもこの格好で涼んでいたものだった。 おそ松くんに出てくる、デカパンのおっさんのようなものである。
エアコンが普及しだしてからは、さすがにこんな格好をしている人は見かけなくなった。 こんな格好が一番似合う子供でさえも、ちゃんと体裁のいい服を着て遊んでいる。 子は親を見て育つらしいから、きっとその親たちも体裁のいい格好をして家の中にいるのだろう。
しかし、ぼくの場合、エアコンを入れないから、この姿がちょうどいいのだ。 この姿で汗をかきながら、「暑い暑い」と言いながらビールを飲んだり、スイカやかき氷を食べるのが好きである。 ところが、そういう時に、郵便や宅急便なんかが来るとちょっと面倒である。 印鑑を押す、たったちょっとの時間のために、Tシャツを着て、暑苦しいズボンをはかなければならないからだ。 もちろん、彼らが帰ったあとはすぐにまた脱ぐのだが、たったそれだけの時間でも、Tシャツはしっかり汗を吸い取っている。
動物はもちろんだが、人間も基本的には服を着ることが嫌いな動物だと、ぼくは思っている。 その証拠に、赤ちゃんは服をいやがり、靴下をいやがり、靴をいやがるではないか。 何がそういった物を嫌わせるのかというと、それは本能である。 でなければ、何も知らない赤ちゃんが、そういう物を嫌うはずがない。
ということで、どうして裸がいいのかというと、本能に戻れるからだ。 だからこそぼくは、この季節を好むのである。 そして、秋の訪れを悲しむのである。
ぼくは年中夏を追っている。 初夏という言葉に喜び、立秋という言葉は見聞きしないようにし、夏は彼岸までという気象学上の季節区分を尊び、限界が来るまでパンツ一丁の生活をし、秋冬には「あと何ヶ月で初夏だ」と自分を慰めている。 テレビやラジオで童謡『小さい秋みつけた』がかかっていると、すぐに消してしまう。 ススキやコスモスも見たくない。 コオロギや鈴虫の音なんて、もってのほかだ。
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