進化人、進歩的文化人の略ではない。 猿の時代から延々と進化し続けている人たちのことを言う。 と聞いて、「えっ、我々人類は猿の時代からずっと進化し続けているじゃないか」と思う方もいらっしゃるだろう。 まあ、ぼくの話を聞いてほしい。 現代の人類には二通りの種類がある。 一つは停滞人で、もう一つが進化人である。
猿と人間の一番大きな違いは何だろうか? まず、知能の発達の違いが挙げられる。 猿がどう頑張っても、人間の幼児くらいの知能止まりだろう。 他には、基本的に人間は二足歩行動物である。 猿もそうやって歩くこともあるが、基本的には前足に頼っているから、二足歩行動物だとは言わない。 しかし、そういうことは決定的な違いではない。
では、猿と人間、どこが決定的に違っているのか? それは体毛の差である。 猿は、体全体が体毛で覆われている。 それが充分に機能しているから、猿は衣服を着る必要がない。 一方の人間はというと、その名残はあるものの、そのほとんどが退化してしまっている。 それがほとんど機能していないから、人間は服を着る必要があるし、残った体毛を『むだ毛』として剃ったりしている。
とはいえ、人間とて元は猿だったのだから、体全体が体毛で覆われていた時代があったはずだ。 それがある時期から、体毛が退化していき、猿と人間の区別がつくようになった。 つまり、体毛の退化が、即ち人間の進化となったのだ。
さて、では進化人とは何か? それは、最初に言ったとおりで、今でも進化し続けている人たちである。 もう、おわかりだと思う。 ということで、これ以上は言いません。
進化人は何かというと、すぐに停滞人の目を気にするが、そういうことは気にしなくてもいい。 あなた方は選ばれた方たちなのだから、もっと誇りを持って堂々と生きていけばいいのだ。 精力絶倫と言われるのも、進化し続けているからである。 おそらく、未来はあなた方の子孫で埋め尽くされることだろう。
そういえば、江戸時代の独特のスタイルは、進化人への気配りから生まれたという話を聞いたことがある。 しかし、それをぼくは気配りだとは思わない。 それは進化人への憧れだったと思っている。 そう、進化人にあやかりたかったのだ。 そう考えると、江戸時代というのは、未来志向の強い時代、いや未来を体現した時代だったと言える。
ということだから、進化人の方たち、停滞人回帰なんかしなくていい。 未来の姿で堂々と生きていってほしい。 そして、進化し続けていってください。 我々停滞人の歴史は、もうすぐ終わるでしょうから。
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