2005年06月02日(木) |
信じなくても、否定はするべきではない |
先日、取引先の人と「ほたる狩りの季節やね」という話をした。 いろいろとほたる狩りスポットを上げていたのだが、一番ほたるが多いと言われる場所の名を言った時だった。 急に取引先氏が変なことを言いだしたのだ。 「ああ、あそこですか。あそこはあまり行かんほうがいいですよ」 「どうして?」 「いや、霊感の強い人から、あそこは霊の通り道という話を聞いたことがあるんです」 「えっ、そうなん。前に行ったけど、何も感じんかったけど…」 「ぼくやしんたさんが感じんだけで、霊感のある人にはちゃんと感じるらしいんですよ」 「へえ」 ぼくは、こういう話を聞いた時、「そんなの嘘だ」とか「霊なんかおるはずないやん」などと否定はしない。 感じる人がいる以上、それは本当のことだと思っているのだ。
例えば、井戸には水神様が宿ると言われている。 そのため、井戸を掘る時や井戸を塞ぐ時には、お祓いが必要となるらしい。 それを怠ると、災いが降りかかるということなのだ。 これまで井戸と直接関わりを持ったことのないぼくにとっては、ピンとこない話である。 とはいうものの、それを否定するつもりは毛頭ない。 昔からの言い伝えというのは、それなりに根拠のあることである。 だからそのことに対して、「自分が体験していない」という単純な根拠だけで、頭から否定するのは馬鹿なことだと思う。 「そういうこともあるんだ」くらいで、とどめておいたほうが無難である。
ところで、その水神様だが、先日嫁ブーから興味深い話を聞いた。 嫁ブーの母方の実家には、二つの井戸があったらしい。 そのうち一つの井戸を塞いだ時は、ちゃんと言い伝え通りに空気穴を開け、さらに神主を呼んで丁重にお祓いしたという。 そのせいか、その時には何事も起きなかったそうだ。 ところが、もう一つの井戸を使わなくなった時は、最初の井戸のように空気穴を開けたり、お祓いをしたりせず、ただ蓋をしていただけだそうだ。 まあ、蓋をしただけの時は何もなかったのだが、そこに何か物を置いた時に、不思議なことが起こったという。 それはそこに住む人にではなく、嫁に行った娘とか親戚の人に降りかかった。 嫁ブーの母親、つまり義母が、ある時えらく夢見が悪いことが続いた。 おかしいなと思って実家に電話してみると、何事もないという返事だった。 何事もないのに変な夢を見るはずがない。 そこで、義母は「あんた、まさか井戸のところ変なことしてないやろね?」と聞いてみた。 すると、蓋の上に荷物を置いているという。 さっそくそれを除けさせた。 案の定それが原因だったらしく、それ以降義母は変な夢を見ることがなくなったという。
別の時、義母の姉にも同じようなことが起きたという。 その時は夢見が悪いのではなく、両膝が痛みだし歩けなくなったらしい。 病院で見せても、何の異常もない。 そこで、義母と同じように実家に電話してみると、その時も井戸の蓋の上に何か置いていたという。 それを除けさせると、ひざの痛みは嘘のように引いていったらしい。
こういうことも信じない人には、ただの偶然と思えるのかもしれない。 しかし、先にも言ったように、自分が信じないからといって、それを否定するのは馬鹿である。 そういう体験をした人がいる以上、それは事実なのだから。
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