小学6年生の頃、親戚の家で立てない子犬を飼っていた。 この子犬、先天的に立てないのではなかった。 ある事件以来立てなくなったのだ。 その事件とは、その親犬と兄弟犬が犬さらいにさらわれたのだ。 おそらく立てない犬は、その光景を隠れて見ていたのだろう。 そのためショックで立てなくなったのだ。 ぼくが親戚の家に遊びに行くと、いつもその子犬は段ボールの箱の中でうずくまっていた。 伯母が食事を与えても、少し口を付けて、あとは残してしまう状態だった。 そのため、元々痩せていた体はさらに痩せ細り、ほとんど骨と皮だけになっていた。
親戚の家の誰もがその子犬のことを心配したが、手のつけようがない。 「かわいそうだが、このまま死ぬのを待つしかないなあ」と伯父は言った。 「病気なんかねえ」 「精神的なものだとは思うけど…」 「立ったら治るんかねえ」 「そうやなあ。立ちさえすれば、何とかなるかもしれん」 「ふーん。じゃあ、立たせてみようか?」 そう言って、ぼくはその子犬を抱え、立たせてみた。 しかし、足に力が入らないのか、すぐに倒れてしまう。 ぼくは諦めず、何度か同じことを繰り返した。 すると子犬は、「ウー」と言って怒り出した。 ぼくはその子犬の頭をひっぱたいた。 「おまえのためにやってやりよるんぞ。偉そうにうなり声なんかあげるな!」 子犬は、その意味が理解できたかのように、黙り込んでしまった。
そんなある日、ぼくは一つの実験をした。 それは念力である。 マジシャンのように手の指に力を入れて子犬の上にかざし、「立て、立て」と言って念を送った。 最初子犬は、ぼくのそんな行為を無視していた。 しかし、ぼくは諦めずにずっと念を送ったのだった。
ぼくが念を送り始めて、10分ほど経った頃だった。 突然子犬の体が、電気が走ったようにピクッと動いたのだ。 「もしかしたら…」 そう思ってぼくは、さらに強い念を送った。 「立ち上がれ、立ち上がれ」 すると子犬の体は、微かだが動き出したのだ。 さらに続けていると、その動きはだんだん力強くなり、体全体にエネルギーがみなぎっているようだった。 その後、子犬は足に力を入れだした。 自分の意思で立とうとしているように、ぼくには見えた。 そして何度も何度もよろけながらも、子犬は立ち上がろうと試みた。 そして、何度か目の挑戦で、ついに子犬は立ち上がったのだ。 「立った!子犬が立った」 まるでアルプスの少女ハイジでクララが経った時ように、ぼくははしゃぎまわったのだった。 ぼくはおよそ半年ぶりに、その子犬が立つのを見たのだった。
それ以降子犬は、段ボール生活をしなくなった。 長い間寝たっきりだったので、動きはぎこちなかったが、それでも立って歩き回るようになったのだった。 しかし、相変わらず、食べることはあまりしなかった。 そのため、骨と皮だけの体のままだった。 そして、それが致命傷になった。 子犬は、その後1年足らずで死んでしまったのだ。
死んでから思ったのだが、子犬に念を送って、食べるようにすればよかった。 しかし、犬が立ち上がってからのぼくは、念力のことをすっかり忘れていた。 念力の実験ということでやったことだが、立ち上がった時に「これは偶然だ」と思ったためだ。
「そういえば、あの時念力で子犬を立たせたんだ」と思うようになったのは、ごく最近のことだった。 もしあの時に念力を鍛えていたとしたら、もっと違った人生を歩んでいたに違いない。 少なくとも、肩や腰の痛みくらいは自分で治せるようになっていたことだろう。 そう思ったぼくは、あの時やったことを思い出しながら、肩や腰に念を送ってみた。 しかし、すでにその能力は失われていたのだった。
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