「ああ、ぼくの青春は恋と歌の旅、果てることなく…♪」 吉田拓郎の『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という、長ったらしいタイトルの歌の一節である。 高校時代、拓郎に憧れていたぼくは、当然のように、この歌詞と同じ道を歩むことになる。 とにかく、ぼくの10代の後半というは、歌のことを思っているか、好きな人のことを思っているかのどちらかだった。 そのため、勉強はおろそかになり、1浪半の末、結局大学進学を諦めることになった。 それを決めたのが、1977年10月のことだった。
その年の9月から始めた中国展のアルバイトが、翌10月に終わった。 他のバイト仲間は、そこからの道を決めていた。 だが、ぼくだけがその答を出すことが出来なかったのだ。 「しんたは、このバイトが終わったらどうするんか?」 「特に考えてない」 「大学受けんのか?」 「大学ねえ…。もう勉強する気もないしねえ…」 「そうか。じゃあ就職か」 「うーん…」 将来について聞かれるたびに、ぼくはいつもこんな煮え切らない受け答えをしていた。
何もぼくは将来を考えていなかったわけではない。 そういう煮え切らない態度をとることで、ある決心を隠していたのだ。 それが高校時代から抱いていた、「フォークシンガーになりたい」という夢であった。 高校の頃までは、「将来何になりたいか?」と聞かれたら、すかさず「フォークシンガー」と答えていたのだが、そう答えるたびに「何を馬鹿なことを言うとるんか」と笑われたものだった。 そういうことがあったので、ぼくは自分の夢を隠すようになったのだ。
なぜフォークシンガーになりたかったのかと言えば、答は簡単で、好きな女の子にそういう自分を見てもらいたかったからだ。 しかし、それだけではなかった。 ぼくは小さな頃から主張の強い人間だったのだが、その表現がへたであった。 そのため、人から誤解を受けることも多かった。 そこで、自分でも出来る自己表現法はないかと、いつも探していたのだ。 そして、それを高校時代に見つけた。 それが、フォークだった。 もし、それを職業に出来るなら、こんなにいいことはない。 そう思って、必死にギターを練習したのだった。
77年と言えば、ギターを始めてからすでに4年がたっていた。 何度か自作の曲を人前で歌ったりして、けっこういい評価を得ていた。 そのおかげで、演奏や歌にはある程度の自信を持っていた。 だが、あと一歩が踏み出せないでいた。 ぼくはその一歩を、長い浪人時代に探していたのだ。
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