頑張る40代!plus

2004年12月28日(火) 上京前夜(1)

「ああ、ぼくの青春は恋と歌の旅、果てることなく…♪」
吉田拓郎の『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という、長ったらしいタイトルの歌の一節である。
高校時代、拓郎に憧れていたぼくは、当然のように、この歌詞と同じ道を歩むことになる。
とにかく、ぼくの10代の後半というは、歌のことを思っているか、好きな人のことを思っているかのどちらかだった。
そのため、勉強はおろそかになり、1浪半の末、結局大学進学を諦めることになった。
それを決めたのが、1977年10月のことだった。

その年の9月から始めた中国展のアルバイトが、翌10月に終わった。
他のバイト仲間は、そこからの道を決めていた。
だが、ぼくだけがその答を出すことが出来なかったのだ。
「しんたは、このバイトが終わったらどうするんか?」
「特に考えてない」
「大学受けんのか?」
「大学ねえ…。もう勉強する気もないしねえ…」
「そうか。じゃあ就職か」
「うーん…」
将来について聞かれるたびに、ぼくはいつもこんな煮え切らない受け答えをしていた。

何もぼくは将来を考えていなかったわけではない。
そういう煮え切らない態度をとることで、ある決心を隠していたのだ。
それが高校時代から抱いていた、「フォークシンガーになりたい」という夢であった。
高校の頃までは、「将来何になりたいか?」と聞かれたら、すかさず「フォークシンガー」と答えていたのだが、そう答えるたびに「何を馬鹿なことを言うとるんか」と笑われたものだった。
そういうことがあったので、ぼくは自分の夢を隠すようになったのだ。

なぜフォークシンガーになりたかったのかと言えば、答は簡単で、好きな女の子にそういう自分を見てもらいたかったからだ。
しかし、それだけではなかった。
ぼくは小さな頃から主張の強い人間だったのだが、その表現がへたであった。
そのため、人から誤解を受けることも多かった。
そこで、自分でも出来る自己表現法はないかと、いつも探していたのだ。
そして、それを高校時代に見つけた。
それが、フォークだった。
もし、それを職業に出来るなら、こんなにいいことはない。
そう思って、必死にギターを練習したのだった。

77年と言えば、ギターを始めてからすでに4年がたっていた。
何度か自作の曲を人前で歌ったりして、けっこういい評価を得ていた。
そのおかげで、演奏や歌にはある程度の自信を持っていた。
だが、あと一歩が踏み出せないでいた。
ぼくはその一歩を、長い浪人時代に探していたのだ。


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