ぼくは、自分が大人だという意識をあまり持っていない。 これは、別にぼくが大人になりきれてないということではない。 ある時期に大人であることを捨てた結果なのだ。 なぜ大人を捨てたかというと、単に疲れるからだ。 過去、大人になろうと背伸びしている後輩を何人も見てきたのだが、彼らは一様に滑稽で、かつ見苦しかった。 そういうのを見て、すでに大人であった自分がむなしく思えるようになったのだ。
大人を捨てた背景には、いちおう思想的なものもある。 上座仏典のひとつである『法句経』がそれである。 この経は、別名『真理の言葉』とも呼ばれている。 そこには自分を律する言葉が、数多く書かれていて、それだけを見るとまさに道徳本なのだ。 だが、その要旨はそこにあるのではない。 『無邪気であれ』ということである。 『無邪気』とは、つまり『子供のように邪気が無い』ということ。 そこをぼくは重く見た。 そこで「じゃあ、子供に帰ってやろうじゃないか」ということになって、大人であることを捨てることにしたのだ。
しかし大人を捨てるというのは難しい。 それまでの人生がすべて大人になるための勉強だったわけだから、そういうものを捨て去るとなれば、かなりの気力が必要となるし、かなりの時間が必要となる。 なぜ気力や時間が必要かと言えば、それまでの教育で、大人というもののをかなり刷り込まれているため、何事も大人の感覚で処理しようとしてしまう。 だから、大人に流されないための気力や、その気力を養うための時間が必要となってくるのだ。 そのため、気持ちの中ではすでに大人はないつもりなのだが、いまだ充分に大人を捨てきれていない部分はある。
さて、大人を捨てようと決めてからしばらくすると、いろいろなバカな大人がいることがわかってきた。 「対面ばかり気にして、自分の足下が見えていないバカ」 「温厚さを売り物にしているのものの、その短気さが顔に出ているバカ」 「人を傷つけまいとして、傷つけているバカ」 「相手に合わせて笑ってはいるが、変に笑顔が引きつっているバカ」 「それほど年をとっているわけでもないのに、妙に年寄り臭いことを言うバカ」 かと思えば、「若者に媚びて、若者の仲間でいようとしているバカ」までいる。 バカ、バカ、バカ、世の中バカのオンパレードだ。 実に不自然なのだ。 しかもこのバカたちは、自分がバカだという自覚がないから始末に負えない。 そのへんを指摘すると、名誉毀損だ、何だと言って、すぐに法に訴えようとするバカ。 こんな大人にはなりたくないものだ。 いや、こんな大人ばかりだから、ぼくは大人を捨てたのだ。
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