ぼくが柔道を始めたのきっかけとなったのは、小学1年の頃にテレビで姿三四郎見たことだった。 ただその時は、三四郎がいつも山嵐という技で勝つもんだから、漠然と「山嵐かっこいいのう」と思っていただけにすぎなかったが。 その後柔道に対する思いがだんだん募っていき、ある日、母に「柔道を習わせてくれ」と頼んだ。 東京オリンピックで柔道が正式種目になったり、美空ひばりの『柔』がヒットしたりしていたせいもあり、家族は柔道に対して好印象を持っていた。 そこで「決してやめない」という条件で、柔道を習わせてもらうことになった。
さっそく母と、家から一番近くにある町道場に、入門手続きを取るべく行った。 「ごめんください」 「はい」 先生らしき人が出てきた。 「この子に柔道を習わせたいんですが」 「何年生かね」 「小学1年生ですけど」 「1年生?柔道は危険だから、小学校の高学年になって体が出来てから来なさい」 ということで、この時の柔道入門は却下された。
その後も柔道に対する情熱は衰えなかった。 小学5年生の時だった。 もう高学年になったからいいだろうと思い、母に頼んで道場に連れて行ってもらった。 ところが、また却下である。 理由は1年生の時と同じく、「柔道は危険だから、体が出来てから来なさい」だった。 しかし、その時は母が粘った。 「1年生の時、一度こちらに伺ったんですが、その時も『体が出来てから来い』と、今日と同じことを言われました。その頃に比べると体も大きくなっています。もういいだろうと思って来たんですが、まだだめなんですか?」 「はい。まだ規定に達していないからですなあ…」 「じゃあ、何年になったらいいんですか?」 「うっ…。6年、そう6年生になったら来なさい」 「じゃあ、6年になったら来ますから、お願いします」
ところで、1年の時はわからなかったのだが、5年の時は何か不思議な感じがしたものだ。 柔道場と言えば、結構広いようなイメージを持っていたのだが、なぜかその道場は狭かった。 それに、そこにいるのは先生と事務員さんだけで、練習生らしき人が一人もいなかった。 まあ、たまたま休みだったのだろう、と思うことにした。 そんなことよりも、6年生になれば念願の柔道が習えるという、喜びのほうが大きかった。
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