頑張る40代!plus

2004年08月31日(火) 山嵐(1)

ぼくが柔道を始めたのきっかけとなったのは、小学1年の頃にテレビで姿三四郎見たことだった。
ただその時は、三四郎がいつも山嵐という技で勝つもんだから、漠然と「山嵐かっこいいのう」と思っていただけにすぎなかったが。
その後柔道に対する思いがだんだん募っていき、ある日、母に「柔道を習わせてくれ」と頼んだ。
東京オリンピックで柔道が正式種目になったり、美空ひばりの『柔』がヒットしたりしていたせいもあり、家族は柔道に対して好印象を持っていた。
そこで「決してやめない」という条件で、柔道を習わせてもらうことになった。

さっそく母と、家から一番近くにある町道場に、入門手続きを取るべく行った。
「ごめんください」
「はい」
先生らしき人が出てきた。
「この子に柔道を習わせたいんですが」
「何年生かね」
「小学1年生ですけど」
「1年生?柔道は危険だから、小学校の高学年になって体が出来てから来なさい」
ということで、この時の柔道入門は却下された。

その後も柔道に対する情熱は衰えなかった。
小学5年生の時だった。
もう高学年になったからいいだろうと思い、母に頼んで道場に連れて行ってもらった。
ところが、また却下である。
理由は1年生の時と同じく、「柔道は危険だから、体が出来てから来なさい」だった。
しかし、その時は母が粘った。
「1年生の時、一度こちらに伺ったんですが、その時も『体が出来てから来い』と、今日と同じことを言われました。その頃に比べると体も大きくなっています。もういいだろうと思って来たんですが、まだだめなんですか?」
「はい。まだ規定に達していないからですなあ…」
「じゃあ、何年になったらいいんですか?」
「うっ…。6年、そう6年生になったら来なさい」
「じゃあ、6年になったら来ますから、お願いします」

ところで、1年の時はわからなかったのだが、5年の時は何か不思議な感じがしたものだ。
柔道場と言えば、結構広いようなイメージを持っていたのだが、なぜかその道場は狭かった。
それに、そこにいるのは先生と事務員さんだけで、練習生らしき人が一人もいなかった。
まあ、たまたま休みだったのだろう、と思うことにした。
そんなことよりも、6年生になれば念願の柔道が習えるという、喜びのほうが大きかった。


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加