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2004年08月21日(土) 柔道談話(後)

それほど弱い学校だったということである。
ちなみに、なぜそれほど弱い学校が、全国大会なんかに出られたのかというと、実はこの金鷲旗全国高校柔道大会は全国大会とはいえ、応募さえすれば出ることが出来る大会なのだ。
だから、インターハイや国体に出ることの出来ないような学校、いや地方大会でいつも一回戦負けしているような学校でも、気軽に参加できたのだ。
この金鷲旗全国高校柔道大会は団体戦で、出場するのは1校5人、勝ち抜き戦形式で行われる。

さて試合の方だが、こちらの先鋒・次鋒・中堅は、相手先鋒に立て続けに投げられていった。
ぼくは次の副将だったのだが、前の3人が投げられるのを見てぼくは、「よし、おれが止めちゃる!」、などとは思わなかった。
なにせ、『目標は、電車に乗って試合場に行くことです』なのだから、そこまで勝ちを意識していなかった。
それに加えて、その時文化祭に出るためのバンドの練習の方に頭がいっていた。
そのため、とにかく早く試合を終えて帰りたかったのだ。
そんな気持ちしか持ち合わせてなかったので、当然のこと、試合に勝てるはずがない。
ところが、その試合、相手が疲れているせいもあって、わりといい試合になったのだった。

さすがに相手は日頃鍛えられているだけあって、技にそつがない。
一方ぼくのほうは、普段ろくに練習もしてないから、すでに息の上がっている状態である。
「相手にならん。こりゃまた負けるわい」
そう思った時だった。
相手は大外刈りを仕掛け、勝負をかけてきた。
普通ならここで倒れてしまい、一本を取られるか、さもなくば技有りを取られ押さえ込まれるパターンである。
ところがである。
なぜかその時に限ってぼくの体は、とっさにその技に反応したのだ。
相手の足をすかし、倒れ込みながら、相手の両足を払った。
ちょうど『谷落とし』のような形になったわけだ。
それも引きが強かったせいで、相手はこらえきれず倒れてしまった。
我が部員の「技有りっ!」という声が聞こえた。
が、審判の判定は「なし」だった。
結局その後、相手にいいように振り回され、寝技で一本を取られた。
これでぼくの柔道人生は終わった。

さて、その『谷落とし』だが、今の国際ルールだと確実に『有効』以上は取れている。
今回のオリンピックを見る限りでは、あれは『技有り』だった。
もしあの時『技有り』と判定されて、そのまま時間切れになり、ぼくが勝っていたとしたら、その後の人生はどうなっていただろう。
案外その勝利が自信になって、その後真剣に柔道家の道を歩み、オリンピックなんかに出ていたかもしれない。
それを考えると残念である。
ちょっと早く生まれてきすぎたかなあ。


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