書くことがない。 まあ、そんなに読まれている日記でもないから、別に書かなくても体制に影響はないだろう。 が、ぼく的には影響がある。 なぜなら、毎日書かないと『頑張る40代!』の主旨に反するからだ。 とにかく50歳になるまで、この日記を続けなければならないのだ。 今まで最後までやり遂げたものが何一つなかったので、「せめてこれだけでも」と思って始めた日記である。 これまでやめてしまうようなことになれば、ぼくはもう何もやり通せないだろう。 そう、もはや引き返すことはできないのだ。
この日記を書き始めて3年半が過ぎたが、今では日記を書くことが生活の一部となっている。 というより、病気化している。 書かないと、そのことが気になって、食欲さえ失ってしまう。 ということで、今日は何を書こうか? それがないので、こんなことをウダウダ書いているのだ。
ということで、何かネタは転がっているかもしれないと思い、昨年同月の日記を見てみることにした。 さすがにすべて埋まっている。 よく毎日書けるものだと、自分のことながら感心してしまう。 ああ、やはりそうだったか。 昨年はあまり暑くなかったのだ。 そういえば、全体に雨が多く、梅雨明けしても大雨の連続だったような記憶がある。
ところで、ぼくの場合、その記憶はすべてイメージに頼っている。 前にテストをやったことがあるのだが、ぼくはどちらかというと右脳人間であるらしく、イメージ中心型だということだった。 そのため記憶もイメージに頼ることが多く、それが昨年だったのか一昨年だったかというようなデータ的な記憶は苦手なのだ。 だから、もし人から「一昨年は雨が多かったなあ」などと言われれば、頭の中で暦を繰るようなことはせずに、ただそういうイメージを持っているという理由だけで「そうやったね」と答えるだろう。
何年か前に、会社の駐車場で、人が頭から血を流して倒れているという事件があった。 後日、その件で保険の調査員が来たことがある。 「どういう状況だったか、具体的に教えてくれ」と言うのだ。 その時、ぼくが応対したのだが、『頭から血を流して倒れている』というイメージ以外に何一つ覚えていることはなかった。 こういう時、左脳人間なら、「こうこうこういう状況で」と具体的に説明できるのだろうが、右脳人間のぼくにはそれができない。 「ああ、そういうことありましたねえ。あの人どうなったんですか?」などと、野次馬的な会話しかできなかった。 『こいつはあてにならん』と思ったか、調査員は「他に目撃した人はいませんでしたか?いたら、その人の話も聞きたいんですが」と言い出す始末だった。
実は、そのことをぼくは日記に書いていたのだ。 それもかなり詳しく。 「おお、ここに書いてあるやないか!」 「ああ、そうそう。駐車場で立小便したあとに、バランス崩して倒れて、車止めで頭打ったんやった」 やはり日記は付けておくべきである。 しかし、それに気づいたのは、それは調査員が帰ってから何日もたってからのことだった。 つまり、ぼくは日記に付けたことを忘れていたのだ。 というより、その日は『頭から血を流して倒れている』というイメージが強すぎて、日記を書いたというイメージが残ってなかったのだ。 体系的に、論理的に、具体的に、物事を覚えることができない。 そこが右脳人間の悲しいところである。
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