東京に出たのは1978年だった。 その年の夏、まだ友だちが少なかったぼくは、他にやることもなかったので、毎日のように銭湯に通っていたものだった。 銭湯は、下宿の前の路地を5分ほど歩いた所にあった。 早稲田通りからあまり離れてない場所にあったのだが、風景はあまりにかけ離れていた。 銭湯付近にはあまり街灯がなく、何かうらさみしいものがあった。 近くに林があったせいで、寒村にも思えたものだ。 そういえば銭湯に行く途中、一度蛙を見たことがある。 その時、ぼくは思わず「ここは東京か!?」と口走ったものだった。
銭湯の隣にはコインランドリーがあった。 まずそこで洗濯物をセットし、それから銭湯に行った。 夏場でも、ぼくは比較的長い時間風呂に入っていた。 上がった後は、扇風機の前を占領し、時間をかけて体を渇かしていた。 それは暑いコインランドリーの中で、洗濯が終わるのを待つのが嫌だったからである。 洗濯が終わる頃を見計らってから、ぼくは銭湯を出た。 そしてコインランドリーに行き、洗濯物をビニール袋の中に突っ込んで、来た道を戻って行った。 途中酒屋があったのだが、そこでいつもジュースを買って帰っていた。 下宿に帰って、買い置きしてあるナビスコリッツをつまみながら、そのジュースを飲むのが、ぼくの日課だったからである。
ぼくは当時テレビを持ってなかったので、代わりにラジオを聴いていた。 その頃、よく聴いていたのは、『がきデカ』『マカロニほうれん荘』といった、少年チャンピオン連載中のマンガをラジオドラマ化したものだった。 ラジオドラマといっても、マンガのセリフをそのままラジオで流していただけのものだったが、「死刑!」だの「チョー」だのを声で聴くのは、何か違和感があった。 やはり吹き出しに書いてある「死刑!」や「チョー」のほうが、迫力もあったし、面白くもあった。
その放送が終わってから、ギターを弾いて作曲などをしていた。 特に夏場は、夜中に作曲をすることが多かった。 ぼくは譜面が書けないので、浮かんだ曲をとどめておくためには、どうしても録音しなくてはならない。 それを夜中にやるのだから、あまり大きな音が出せない。 もちろん暑いから窓は全開である。 そのせいで、肝心の音が小さくなってしまっている。 さらに悪いことに、その音を、通りを歩く人の声やバイクの音がかき消してしまっている。 おかげで、夏場に録音した半分以上の曲が、闇に葬られる結果となった。 これも東京時代の思い出と言ってしまえばそれまでなのだが、「ちゃんと、昼間録り直しておけばよかった」と、今になって後悔している。
まあ、こういう生活もその夏までだった。 その後、友人たちとのつきあいに時間を割かれるようになり、ほとんど下宿に戻らない生活を余儀なくされるようになる。
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