【金さん殺害】 実は、痛ましい映像を見てしまった。 痛ましい映像とは、イラクの武装勢力に拉致された金鮮一さんの殺害シーンである。 テレビのニュースでは、犯人たちが声明文を読み上げているところで終わっているが、ネットではその後の映像が流れていた。 その後犯人たちは、金さんを蹴り倒し、体を押さえつけて、何か呪文のようなものを唱えながら、巧みに金さんの首を掻き斬った。 最後に犯人は、首を片手に何かわめき、その首を胴体に乗せた。 映像はそこで終わっていた。
実に残酷なシーンだった。 が、実にあっさりとしたものだった。 食事前に見たのでちょっと刺激が強かったものの、人間の首とはああも容易く取れるものなのかなどと、冷静なことをぼくは考えていた。 斬首シーンは時間的には比較的短いものだった。 しかし、その場に座らされてから息絶えるまでの金さんにとっては、長い長い恐怖の時間だったのだろう。 ご冥福をお祈りします。
【介錯】 現代では、首を斬るという行為は、残酷かつ野蛮ということになっているが、つい100年ちょっと前までは、日本でも頻繁に行われていた行為である。 江戸時代には打ち首という刑があった。 その首をさらすことを獄門と言った。 また、武士の世界には切腹という刑・自決法があった。 切腹の際、必ず介錯人というのがついたのだが、腹を切ったのを確認して、彼らは首をはねていた。 首を斬るのは、切腹した人を早く楽にさせるためだったという。
居合に、その『介錯』という型がある。 居合は「静中動ありの武術」だが、この『介錯』の時だけは静で行う。 それは介錯というのが、厳かな儀式であるからだ。 ちなみに、この介錯、一歩間違うと自分の身に被害が及ぶ。 間違いというのは、首を斬り落とした時である。 介錯には、首の皮一枚だけでも胴体と繋がっていなければならない、というルールがあったらしく、もし切り落としたりすると、今度はその介錯人が罪に問われることになる。 つまり、腹を切らなければならないのだ。
ということは、だ。 今回の武装勢力の斬首の場合、完全に首を切り落としていたから、日本式であれば、武装勢力は腹を切らなければならないことになる。
【巌頭和尚】 江戸時代、白隠という名僧がいた。 彼が大悟したきっかけが、実は斬首であった。 白隠は19歳の時に、唐の巌頭和尚が賊のために首を斬られ、数里に聞こえるような大きな叫び声を出して死んだという記事を読み、「仏門の修行をしても賊難でさえ避けることが出来ないではないか」と落胆する。 ところが、その5年後、暁の鐘の音を聞いて彼は大悟した。 その時白隠は、「巌頭和尚はまめ息災であったやわい」と叫んだという。 白隠が何を悟ったのかは知らない。 が、おそらく巌頭和尚の中に生死を超えたものを見たのだろう。 だからこそ「まめ息災」なのだ。 巌頭和尚は、生死を超えたところで首斬りを受け入れたということになろうか。 ということは、巌頭にとって賊の刃は、きっと春風が首をなでているようなものだったのだろう。 金さんの斬首シーンをハラハラしながら見ていたぼくには、その心境にはなれない。
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