| 2004年04月02日(金) |
パソコンの前に座って |
【ギター生活、その後】 今日は、一日パソコンの前に座っていた。 しかし、パソコンを打っていたわけではない。 パソコンの前に座って、ギターを弾いていたのだ。 以前日記で書いたとおり、2月からギター生活を再開したわけだが、もう1ヶ月半近くが過ぎた。 毎日少しでもいいからギターを触ろうとした試みは、さぼることなく続いている。
指先は、ギター弦を押さえるものだからへこんでしまい、そこにタコができてカチカチになっている。 こういうのも久しぶりで、20代以来のことではないだろうか。 ただ、あの頃は、まだひどい状態だった。 何せ、毎日最低でも2時間はギターを弾いていたものだから、指先がざらざらしていた。 そこを毎日ヤスリでこすっていたので、指先はいつも白くなっていた。 また、弦を押さえる部分は、ギター弦のギザギザが刻印されており、そこに弦の油がしみて黒くなっていた。
しかし、そこまでやっても、ギターの腕は上がるものではなかった。 指は思うように動かないし、押さえた弦もはっきり音が出ない。 もっとも、プレイヤーのギターコピーをやっていたのは20歳頃までだったから、それ以上の腕の向上は望めなかった。 しかし、ギタリストを目指して始めたギターではなかったので、ぼくとしてはそれで充分だった。 じゃあ20歳以降は何のためにギターを弾いていたのかというと、オリジナル曲の伴奏のためである。 年を追うごとに増えてくるオリジナル曲を忘れないためにも、毎日の練習は欠かせなかったのだ。 おかげでオリジナル曲の伴奏は、今でも全部覚えている。
【自画自賛】 そういえば、パソコンの前に座って、もう一つやっていたことがあった。 以前の日記を読み返していたのである。 これは時々やっていることだが、誤字脱字や表現におかしい箇所がないかのチェックをしているのだ。 しかし、最初は真面目にチェックしているものの、やっているうちに、ついその内容に心を奪われてしまう。
ぼくは、いつも時間に追われながら日記を書いているので、書いたらそこで終わりなのだ。 つまり、じっくり読み返すことがないということだ。 そのため、どんなことを書いたのかすらも忘れてしまっている。 こうやって読み返してみると、けっこう面白いことを書いているではないか。 その表現に、思わず「おっ」と唸る部分もある。
これはぼくにとって、まさに奇跡である。 なぜなら、普段では書かない、いや書けない文章を書いているからだ。 普段ぼくが書く文章は、抽象的で、何を書いているのかわからないものが多い。 以前は、よく計画書や報告書などを会社に提出していたが、「抽象的すぎる」という理由で、何度突き返されたことだろう。
そうやってみると、つくづく「人間せっぱ詰まると、普段の力以上のものが出せるんだなあ」と思ってしまう。 もし、時間に追われることがなく、じっくり腰を据えて書いていたとしたら、この日記に書いているような文章は、とうてい書けないだろう。 それは、計画書や報告書のみならず、日記の下書きや、昔ノートに付けていた日記を読んでもわかる。
とは言うものの、時間に追われる毎日というのは、やはり嫌なものである。
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