何日かに一度、パーになる日がある。 今日はどうもその日らしい。 パソコンの前に座っても、何も考えることが出来ず、時間だけが無為に過ぎていく。 気がつけば、もう寝る時間になっている。 「今日の日記、どうしようか?」 「休もうか?」 「いや、朝しようか?」 などと、一人で問答しているが、手は一向に進まない。
その手は何をしているかと言えば、日記とはぜんぜん関係のないことをやっている。 ちなみに今日は、重要なメールのバックアップなんかをやっていた。 この前のパーの日には、ギターを弾いていた。 その前のパーの日は、新しいソフトを入れて、何度もパソコンを再起動させていた。
そういう時は、なぜか気が焦ることもない。 何かのんびりしているものだ。 「そうか、明日も仕事だったなあ」 「忙しいかなあ」 「そんなことはないだろうなあ。やっぱり暇だろうなあ」 「次の休みは、何しようかなあ」 「ああ、疲れるわい」 やはり、パーな日なのだ。 建設的な思考が停止している。
なぜ、こういうことが起こるのだろう。 もちろん、パーな日なのだから、その日には、そういうことはわからない。 ということで、パーでない日、つまり脳の活発な日に、そういうことを考えてみたことがある。 その時得た解答は、「仕事が忙しい日に、パーになる」ということだった。
そういえば、今日は棚卸し準備のために、朝からタバコを吸う間も惜しんで、一生懸命働いていた。 主に肉体労働だった。 重たい物を移動させたり、積み重ねたり、とにかく力を使った。 そのせいで、帰る時、水筒を持つ手が細かく震えてしていた。 ということは、パーにならないためには、働きすぎないことが肝要だ、ということになる。
しかし、棚卸しは明後日に迫っている。 いやでも働かなくてはならない。 しかも明日は、商品の大量入荷日ときている。 つまり、明日もパーな一日になるということだ。
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