ぼくはいつも、会社帰りに妻を迎えに行っている。 その途中に吉野家がある。 いつも駐車場には多くの車が停まっていて、店内はお客さんで賑わっている。 ところが、昨日はちょっと雰囲気が違っていた。 信号待ちの時、車の中から吉野家を覗いてみると、お客さんがいるように見えないのだ。 やはり昨日で、牛丼は終わったのか。 そう思うと、吉野家のところだけが、なぜか暗く見えた。
「牛丼一筋〜♪」とやってきたところだけに、その牛丼が食べられないということになれば、当然お客は来なくなるだろう。 いくら付け焼き刃的に焼鶏丼やカレー丼を始めても、『めしや丼』など丼の専門店がひしめく中、わざわざそういうものを食べに吉野家まで足を運ばない。 やはり吉野家は、牛丼があるからこそ吉野家なのだ。
思えば、吉野家がこちらに出来たのは、ぼくが浪人している時だった。 突然「牛丼一筋、80年〜♪」というCMが始まったので、何だろうかと思ったものである。 とはいえ、その頃は、家の近くになかったために、行くことはなかった。
ぼくの吉野家デビューは、東京に出てからだった。 初めて入ったのは新宿店だった。 それから頻繁に吉野家通いを始めた。 どこに遊びに行っても、そこに吉野家の看板があれば、そこで食事を済ませたものだった。 そういえば、東京にいる頃、一度だけ大阪に行ったことがあるのだが、その時おいしいものを食べようと街中を歩き回ったが、どこに入っていいか決めきらず、結局吉野家で食事をした思い出もある。
当時、東京には吉野家の類似店が多くあった。 いろいろなところに挑戦したが、ぼくの舌は吉野家向きだったらしく、どうも他の店の牛丼は受け付けなかった。 ということで、金のある時は吉野家に足繁く通ったものだった。
こちらに帰ってしばらくしてから、家の近くに吉野家が出来た。 懐かしさのあまり、さっそく食べに行った。 味も東京のそれと何ら変らない。 並を頼んで、「ちょっと足りないな」と思うところでやめるのが、ぼくの吉野家流儀だ。 その流儀も東京の貧乏時代に身につけたものだ。 ただ、東京時より贅沢したこともある。 それは、生卵と白菜漬けを注文したことだ。 東京時代には、生活に追われていたために、生卵や白菜漬けを食べる余裕がなかったのだ。
さて、いよいよ吉野家の牛丼を食べることが出来なくなったわけである。 ぼくは、そこまで牛丼が好きなわけではないが、たまに食べたくなる時もあるのだ。 まあ、そういう時は『なか卯』にでも行けばいい。 とはいえ、狂牛病関係で、ここも牛丼をやめないとも限らない。 専門家が「人体には特に影響がない」と言っているのに、どうしてこの国の人たちは過剰に反応してしまうのだろう。
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