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2004年01月19日(月) 力ラーメン(中編)

こんなぼくでも、東京に出た当初は自炊をしていた。
そのおかげで、最初の頃、ほんの少しの期間だったけど、計画的にお金を遣うことができた。
まあ、それが出来たのは、まだ友だちもいなかったということのほうが大きかったのだが。

で、どんな料理が出来るのかというと、みそ汁と目玉焼き、それとラーメン(もちろんインスタント)である。

みそ汁と目玉焼きは東京に出てから覚えた。
一方の、ラーメンは年季が入っている。
何せ、出前一丁の出端の頃から作っているから、東京にいる頃には、すでに10年以上のキャリアがあったのだ。
だから、ラーメン一つ作るのに、かなり凝ってしまう。

西友ラーメンを作る時でさえ、これに玉子とキャベツを加えて、ガーリック入れ、隠し味に酒をちょっと入れてみるとか、いろいろ工夫していた。
その工夫が落とし穴だった。
そのために玉子を買い、キャベツを買った。
ガーリックがなくなればガーリックを買いに行き、「酒が足りん」と思えば酒を買いに行く。
そんなことをやっていたので、ラーメンだけで終わるはずの食費が、それだけでは終わらなくなってしまった。
もちろん、飲みごとは定期的にやっていたが、ラーメンの具や酒などの余計な出費があったせいで、通常の半分くらいしか参加出来ない。
そのため、友人からは「しんた、最近つきあい悪いなあ」と言われる始末だった。

もう一つの誤算は、いくらモチを入れているとはいえ、ラーメン一杯では足りなかったことだ。
下宿で食事をする時は、8時頃に食べていた。
その後、風呂に行ったり、ギターを弾いたりして、夜を過ごしていた。
寝る時間は特に決めていなかった。
眠たくなった時に寝ることにしていたので、10時に寝ることもあれば、深夜4時5時、ひどい時には徹夜することもあった。
だいたい、深夜3時くらいに寝ることが一番多かったようだ。
それまで起きていると、当然空腹と闘わなければならない。
その空腹感のピークは12時前後だった。
朝昼と抜いているので、その空腹感たるや尋常ではない。
もう、吠えたくなるくらいだった。
それでも、最初のうちは我慢していた。
が、早くも3日後には限界がやってきた。
我慢して寝てしまおうと思ったが、自制心が利かない。
そこで、「今日は特別に腹が減っているんだ。また明日から一食に戻せばいい」と自分に言い聞かせ、禁断の翌日分のラーメンに手を出した。
とはいえ、罪悪感からか、その日はモチを入れなかった。
玉子もキャベツも入れなかった。
ただ、味の都合上、ガーリックと酒だけ入れた。

こういう空腹感の元で食べるラーメンは、本当においしいものである。
その日は、その感触を充分に味わった。
それが自滅の第一歩だった。


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