昨日の夕刊の天気予報には、「明日の天気は晴、降水確率は10%」と書いてあった。 朝、野暮用で車を運転している時にラジオから流れてきた天気予報では、「今日は朝からとってもいいお天気です。今日の北部九州地方は全般にわたってこの晴天が一日続く模様です」と言っていた。 ところがである。 その時こちらのほうではけっこう激しい雨が降っていた。 その雨がフロントガラスを叩きつけたために、前がまったく見えないくらいだった。
県内の放送局はすべて福岡市にある。 北九州市は、緯度的に福岡市より若干北に位置しているものの、同じ玄界灘沿いにあるので、ほとんど天気は変らない。 「それなのに、この差は何だ!?」 ぼくはブツブツ言いながら、天気の神様を恨んでいた。
雨は、ぼくが家の中に入るまで降っていた。 おかげで、コンビニで買ったスポーツ新聞はびしょ濡れになってしまった。
ここ数年、梅雨や季節の変わり目といった、大気の安定しない時期の天気予報は外れることもあるのだが、普段の時期の予報はおおむね当たっているようだ。 とはいえ、たまに「晴」とか「雨」と言ったのに「曇り」だったりすることもある。 ところが、今日のような大外れは滅多とない。 天気予報を信じて傘を持って行かなかった人は、おそらくずぶ濡れになったことだろう。
ところで、ぼくは小学生低学年の頃、天気予報で「今日の天気は、曇り一時雨」と言うと、午後1時に雨が降るものだと思っていた。 そう思っていた人が多かったようで、その話をするとわりと多くの人がうなずく。 ずっと後に「降水確率40%」などと言うようになったが、それを一日の40%が雨と思っている人や、県内の40%の地域で雨が降ると思っている人もいた。 中には、雨雲に含まれる水分の40%が雨となって落ちてくる、と複雑に考える人もいた。 そこで、ぼくが意地悪く「全体の雨の量はどのくらいあるんか?」と尋ねると、その人は「その日の降雨量を0,4で割ればわかる」と答えた。 そこで「じゃあ、その降雨量はどうやって量るんか?」と質問すると、その人は「雲を見て全体量を予測して、0,4掛ければいい」と答えた。 ぼくはアホらしくなって、もうそれの以上は質問しなかった。
だいたい何の説明もないまま、こういう表現を使う天気予報が悪いのだ。 「一時雨」などと言うから煩わしいのだ。 「一時的に、雨が降るでしょう」、もしくは「ちょっと雨が降るかもしれんばい」でいいじゃないか。 降水確率、何を基準にして確率などと言っているのだ。 そういう数字のマジックなようなものを、公の電波に流したり、新聞に載せないでもらいたいものだ。
例えば、冒頭に書いたように、昨日の夕刊では、今日の天気は晴で降水確率は10%となっていた。 これを見て、誰がずぶ濡れになると予想するだろうか? 普通の人なら、晴マークの上に降水確率10%とあれば、「終日晴」と捉えるだろう。 その数字を見ても、傘を用意する人がいるとすれば、その人はおそらく蛙かツバメの化身だろう。
さらに言わせてもらえば、その場合、その10%はどの時間にどこで降るのだろうか。 そこまで詳しく報告して、初めて天気予報と言えるだろう。 だいたい、降るか降らないか、すべてはフィフティ・フィフティでなのある。 いくらコンピュータや人工衛星のおかげで、降水確率10%などと詳しく予想が出来るようになったといっても、その数字がいつどこで適用されるのかがわからなければ、何の意味もない。 こういう世迷い言的な降水確率ならやめてほしい。 おかげで、ホークス和田投手の14勝の記事が、松中・城島の打点王争いの記事が、雨で破れて読めんやないか!!
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