2003年04月16日(水) |
千葉マリンスタジアムで3連勝! |
ここまでやってくれるとは。 ホークスファンにとって、今年の優勝を確信したような3連勝だった。 対マリーンズ3連戦、杉内・余裕の完封勝利、新垣・涙の完投勝利、和田・技の完封勝利、実に見事だった。 この3連戦でのロッテの得点は、堀の犠飛であげた1点のみだった。 3年前は3勝しかできなかった千葉マリンスタジアムでの3連勝というのも、何か感慨深いものがある。
さて、そのホークスだが、98年からずっとAクラスに入っている。 その年までの目標が「Aクラス入り」だったから、あれから5年も続けてAクラス入りを果たしているわけだ。 ちなみに、98年が3位、99,00年が優勝、01,02年が2位である。 しかも、ここ数年の優勝予想では、半数以上の評論家の方々がホークスの名を上げてくれている。
ホークスも強くなったものである。 ホークスが、ペナントレースの地を這っている頃から応援しているぼくにとっては、こんなに嬉しいことはない。 エースが村田や吉田豊だった頃、つまり投手力が弱いと言われていた頃から比べると、投手陣もかなり充実してきたものである。 ここまで若手が頑張って完投している姿を見せつけられると、『勝利の方程式』とは、いったい何だったのだろう、と、つい思ってしまう。 元々は、先発投手が安定していないがための、苦肉の継投策だった。 それがうまくいったからこそ、『勝利の方程式』という言葉が生まれたのだ。 もしうまくいってなかったら、こういう言葉も生まれてこなかっただろう。 しかし、優勝した99,00年こそ「先発→中継ぎ→押さえ」がうまくかみ合っていたものの、それ以降はペドラザの一発病に象徴されるように、うまくいかなくなった。
そういえば、昨年はペドラザが戦犯になった試合が、けっこう多くあった。 9回に、1,2点差でペドラザが登板した時には、いつもヒヤヒヤさせられたものだ。 いや、その点差が5点開いていても、ペドラザと聞いただけでストレスがたまったものだ。 2アウトランナーなしでも落ち着かなかった。 3人目に四球、4人目に本塁打を打たれ同点、その後延長戦になり、逆転負けを喫してしまうというパターンを、何度も見せつけられていたからである。 たまにうまく押さえて勝った時の彼のガッツポーズを、素直に喜ぶことが出来なかったのは、ぼくだけだっただろうか。
ところで、このサイトの自己紹介のところにわざわざ「福岡ダイエーホークスファン」と書き、調子に乗って『空を翔べ!』という掲示板まで作っているぼくではあるが、実はファンクラブには入っていない。 入っていた時期はある。 それは、まだホークスが弱かった時代である。 毎年、「ファンクラブの一員としてホークスの優勝を見たい」と思って、契約を更新していたのだが、ある時「ホークスが弱いのは、ファンクラブに入っているからじゃないのか」という思いにかられた。 そこで、次の年、そう98年からは更新しないことにした。 案の定、その年は4位扱いではあったものの、日ハムと同率の3位になった。 ということで、翌年も契約しなかった。 すると優勝だ。 そういうことなので、ぼくはもうファンクラブに入ろうとは思わない。 ぼくがファンクラブに入ると、またBクラスになってしまう。
まあ、入っていようといまいと、ファンであることに代わりはない。 ひいきのチームが勝つと、実に気分のいいものである。
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