ところで、ぼくの抱いていた「さて、どこで会ったんだろう?」の疑問だが、何年か後にやっと思い出した。 それは、夢の中で会ったのだ。 見ず知らずの人の夢を見るということは、その人がぼくの理想の女性だったということになる。 それほど、ぼくにとって大きな人だったのだ。 と、思っていた。 しかし、さらに後年、確かに会っていることを思い出した。 それは中学1年の時だった。 ぼくが一時期バレー部に入っていたということを前に書いたが、その頃のことだ。 5月に、バレーボールの区内大会があり、ぼくたち1年も応援に行くことになった。 その時、その会場の隣で、彼女の所属していたクラブの試合をやっていた。 ぼくは興味本位でその試合を眺めていたのだが、そこにある中学の1年生の団体がいた。 その頃のぼくは、知らない人にも声をかける人間だったので、当然彼女達にも声をかけた。 友人と二人で、ギャグをかましたり、悪態をついたりしたのを覚えている。 その中学が彼女のいた中学だった。 ということは、その中に彼女もいたことになる。 そのことを思い出したのは、30代の後半だった。 しかし、今のところ、それを確認することは出来ない。
ぼくの高校時代は、彼女に始まり、彼女に終わったと言える。 詩作や作曲を始めたのも、彼女がいたからであり、それが高じてミュージシャンを目指し、ありふれた人生を送ることを否定したのも、広い目でみれば彼女がいたからである。 また、『頑張る40代!』では決して触れることがないと思われる、今なお続くぼくの波瀾含みの人生も、「彼女がいたから」ということの延長なのかもしれない。 が、ぼくはそのことで、人生を失敗したなどとは思っていない。 多少波瀾万丈ながらも、いい人生を送っていると思っている。 その意味でも、彼女の存在は大きかったと言える。 もし彼女という存在がなかったら、平々凡々としたありふれた人生を送っていたことだろう。 そして、そのありふれた人生の中に価値観を見いだしていたかもしれない。 しかし、もしそうであったとすれば、このホームページの存在はなかったと思う。
と、高校時代の総括が出来たところで、そろそろ高校を卒業しようと思っているのだが、「2年や3年の時はどうだったんだ?」という方もいると思うので、簡単に触れておくことにする。
1974年、高校2年。 この時代のことは、さんざん書いているので、ここでは割愛する。 何とか人に聞かせることの出来る、オリジナル曲を作ったのがこの頃である。 後にバンドを作るのだが、そのバンドでやった曲のほとんどが、高校2年の時に作ったものだった。
1975年、高校3年。 2年の終業式の日に、これで高校生活が終わったと思った。 高校に入った時から、ぼくは『高校3年生というのは、高校生ではなく受験生だ』と思っていた。 そういう考えを持っていたために、高校2年までに高校生活を楽しむだけ楽しんだ。 その結果、3年の時は抜け殻になっていた。 クラスに溶け込もうとせず、一人孤立していた。 2年までのぼくを知る人間は、その変化に驚いていたようで、「何で2年の時みたいにはしゃがんとか?」などと言ってきたが、ぼくは無視していた。
さて、孤立した目で周りを見渡すと、実によく人の心が見えてくる。 誰もが不安だということが、手に取るようにわかった。 馬鹿やっている者も、真面目ぶっている者も、みんな不安の固まりだ。 ちょっとした会話でさえ、すべて空元気に聞こえる。 もううんざりだった。 結局、うんざり状態のまま、ぼくは高校を卒業する。
1976年3月、高校卒業。
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