| 2002年11月22日(金) |
傷つくのはあんたたちだ |
若い頃、ぼくはよく「お前は、優しすぎて押しが利かないから、販売は不向きだ」と言われていた。 彼らは一様に「何が何でも売ってやろう、という気概を持っている人こそが、販売人向きだ」と言うのだ。 ぼくは決して優しい人間ではないが、そう言われるたびに「優しいことがどうしていけないんだ。口ではいつも『お客さんには、常に優しい気持ちで接しましょう』と言ってるくせに」と思い、憤慨していた。
しかし、優しい云々は別として、ぼくは『何が何でも・・』という考え方は嫌いである。 「じゃあ、自分なりの販売の仕方をしてやろうじゃないか」と考え出したのが、個性を売り物にする販売方法だった。 商品の説明をするわけではない。 無理強いもしない。 ただ、淡々と自分を売っていくのだ。 この方法だと、広く浅くという売り方は出来ないが、特定のお客さんと深いつながりができ、そのお客さんからいろいろな情報を得ることが出来た。 この方法で、例の『押し人間』と対等に渡り合っていたのだから、ぼく向きの販売方法だったと言えるだろう。
この『何が何でも』という考え方とよく似た考え方に、『人を押しのけても』という考え方がある。 もちろん、『優しすぎる』と評されたぼくにとっては、嫌いな考え方である。 前の会社にいた時、そういう考え方の人がけっこういた。 ぼくが接客しようとすると、横から割り込んでくるのだ。 そして、「しんちゃん、このお客さんはおれに譲って」と言う。 『人を押しのけても』人間でないぼくは譲ってやったのだが、あまりいい気持ちはしない。 しかし、そういう考え方の持ち主というのは、得てして他人を気にしているものである。 他人の言動に、いつもビクビクしているようにも感じる。 中には人を押しのけといて、後でフォローしてくる馬鹿もいる。 「悪かったね。知っている人かと思ったけ」などと言い訳している。 どう見ても、知っている人に接している雰囲気ではなかった。 みっともない奴である。 言い訳するくらいなら、最初からそういうことをしなければいいのだ。
ぼくはかつて、こういう人は、高度成長時代やバブル期の産物かと思っていた。 しかし、バブルがはじけた今でも、この『何が何でも』や『人を押しのけても』人間には、たびたびお目にかかる。 こういう人を相手にすると、実に疲れるものである。 別にそういう人がいてもいいのだけど、ぼくには関わらないでほしいものだ。 ぼくは決して優しい人間でも、寛容な人間でもないから、そういう人たちを、顔色を変えずに受け止めることが出来ない。 先にも言ったが、そういう人たちは神経質だから、ぼくの顔色が変わったことぐらいすぐにわかるだろう。 さらにぼくは、何が何でも、そういう人には一言言わないと気がすまない性格である。 また、人を押しのけても、気に入らない人には毒づく人間である。 傷つくのはあんたたちだ。
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