「パレード」というレーザー・ディスクを持っている。 ポーランドの映画で、1988年のソウルオリンピック開催中に、北朝鮮で行われた建国40周年の祝賀風景を映したものだ。 北朝鮮国民による100万人のパレードや、大競技場で繰り広げられるマスゲームの数々。 この映画は、翌年の第32回ライプチヒ国際映画祭でグランプリを受賞したという。 会場で上映された時は、「全編爆笑、失笑、嘲笑の渦」だったらしい。
ぼくは2度ほどこの映画を見たが、マスゲームはともかく、笑ったのは最後の場面だった。 幹部連中が、音楽ホールかどこかで、競って金親子を讃える歌をカラオケでうたっている風景だった。 どの曲もマイナー調のド演歌で、中には涙を流して歌っているものもいた。 それはまるで、そのへんのおっさんがカラオケを歌っているようだった。 「北朝鮮には他の歌はないのか」と思うくらい、延々と金親子を讃える歌が続いて、映画は終わりになる。
かなり前に見た映画なので、ぼくはこれを書くに当たって一度見ておこうと思ったのだが、機械の調子が悪くて見れなかった。 まずDVDでは出ないだろうから、機械を修理するか友人の機械を借りるかして、ビデオにダビングしておかなかければならない。
ぼくが北朝鮮に興味を持ったのは、今からおよそ10年前、まだ日本国内で北朝鮮が話題に上る少し前だった。 その頃ぼくは、本屋で偶然、テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』という本を見つけた。 それから北朝鮮が病み付きになっていった。 当時そごうの中にあった旭屋書店に行って、人目を気にしては本を買いあさっていた。 なぜ人目を気にしたのかというと、この辺は在日の方が多く住んでいるので、尾行でもされたらかなわん、と思ったからである。
とにかく読みまくった。 今でもその本は書棚にあるが、その数2,30冊にのぼっている。 全部が全部読んだわけではないが、要点は抑えたつもりである。 そのおかげで、その後明るみに出た、数々の北朝鮮の起こした問題すべてに、「さもありなん」と頷くことができた。
また、一連のオウム事件を見た時、これは北朝鮮が絡んでいるのでは、と思うことがたびたびあった。 金正日と麻原彰晃が、非常によく似ていたからである。 双方とも被害妄想の持ち主である。 互いに、地上の楽園を作ろうとした。 外部に向かって、いつもファイティング・ポーズを見せる。 事件を起こすたびに、知らぬ存ぜぬを繰り返す。 近所迷惑である。 敵は、アメリカと日本。 ロシアと仲良し。 脱走者には手荒い罰を与える。 密告社会を作り、密告された者には制裁を加える。 女に甘い。 嫉妬深い。 金に弱い。 面白いことに、一方は核、一方はサリンで査察を受けている。 やはり独裁者というのは似てくるのだろうか。
時々、テレビで金正日の人柄について語っていることがある。 しかし、変に専門過ぎて、今ひとつわかりづらい。 テリーさんが言った「田舎町の社長の息子として生まれた、わがままな二代目」のほうがわかりやすいのではないだろうか。 ぼくは、テリーさんのその一言で、金正日の全体像が見えてきた。 要は、ボンボンなのである。
さて、今後北朝鮮はどうなっていくのだろう。 核問題がまた浮上したし、拉致問題も全然解決してないし、金正日の息子正男は失脚するし。 まだまだ、あの国からは目が離せない。
|