ぼくは昭和34年に、今住んでいる場所に引っ越してきた。 2歳の頃だから、当然その当時の記憶はない。 それ以前にここがどういう状態だったのかは、よく知らない。 聞いた話によると、それ以前ここは池であったとか、海の入り江だったとかいうことだ。
さて、今は団地が出来て跡形もなくなっているが、20年ほど前までぼくの家の裏には小さなハゲ山があった。 その山には洞穴があった。 これも聞いた話だが、その洞穴は防空壕だったということだ。 ぼくが小学生の頃には、その洞穴を探検に来る人が多くいた。 わりと遠方から来る人もいた。 みな手にろうそくを持って来ていたのを覚えている。 その洞穴は、入り口が幅2メートルほどあり、中に入ると直径5メートルほどの円形の空間になっていた。 その奥は通路が細くなっており、通路を10メートルほど行くと、山の裏側に出た。 ぼくが中学生の頃に、その穴は埋められてしまった。 理由は「危険だ」ということだった。
その穴が自然に出来たものでないことは、まだ幼かったぼくにもわかった。 では、いったい何のためにその穴は掘られたのだろうか。 長い間、そのことはぼくの中で疑問であった。 ぼくの住む一帯は埋め立てて住宅を作った場所であるため、そのことを知っている人もいない。 町の歴史にもそのことは書いていない。 仮に防空壕であったとしたら、「この辺も空襲にあいました」くらいのことは書いているはずだが、それもない。 実際、爆撃を受けていたとしたら、終戦後それほどたっていない時期だから、付近に空襲の傷跡が残っているはずだ。 しかし、長いことこの地に住んでいるが、そういう場所があるとは一度も聞いたことがない。
しかし、防空壕でないとしたら、その穴はいったい何のために掘られたのだろうか。 木の実がなるとか、果物が採れるとか、畑があるとか、そういう生産性のある山ではなかった。 だから、その穴が貯蔵庫に使われたという推理は立てにくい。 古墳などという歴史的なものでもない。 それなら、当然郷土史に書いてあるはずだ。 墓穴でもない。 そういう雰囲気を漂わせる山ではなかった。
やはり防空壕が妥当なのだろうか。 そうであれば、以前ぼくが、もんぺ姿のおばあさんの霊や、戦時中の格好をした子供の霊を見たことも納得がいく。 戦時中、ぼくの住んでいる場所は入り江で、防空壕付近で死んだ、子供や年寄りの遺体を、当時岬であった後のハゲ山から投げ捨てた。 そういう浮かばれない霊を、ぼくは見たわけだ。 また、こういう話もある。 2,3年前、ぼくと同じ団地に住むじいさんが死んだ。 そのじいさんは、死ぬ前に奇妙な行動をとっていたという。 団地内の駐車場に塩をまいていたというのだ。 近所の人が「何をしているんですか」と聞くと、じいさんは「ここにはたくさん霊がいるので、清めているところです」と言ったという。 その駐車場とは、今の団地に建て替える前にぼくが住んでいた場所である。 そう、ぼくが「もんぺ姿のおばあさん」の霊を見た、まさしくその場所である。 ぼくがその場所に住んでいた時、ばあさんの他にも、白い影や、誰もいないはずの階段に人の気配を感じたりしたものだ。
さて、あの洞穴は何だったのだろうか。 ぼくが見た霊に、何らかの関係があるのだろうか この謎は年々、ぼくの中で深まるばかりである。
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