頑張る40代!plus

2002年08月13日(火) 洞穴

ぼくは昭和34年に、今住んでいる場所に引っ越してきた。
2歳の頃だから、当然その当時の記憶はない。
それ以前にここがどういう状態だったのかは、よく知らない。
聞いた話によると、それ以前ここは池であったとか、海の入り江だったとかいうことだ。

さて、今は団地が出来て跡形もなくなっているが、20年ほど前までぼくの家の裏には小さなハゲ山があった。
その山には洞穴があった。
これも聞いた話だが、その洞穴は防空壕だったということだ。
ぼくが小学生の頃には、その洞穴を探検に来る人が多くいた。
わりと遠方から来る人もいた。
みな手にろうそくを持って来ていたのを覚えている。
その洞穴は、入り口が幅2メートルほどあり、中に入ると直径5メートルほどの円形の空間になっていた。
その奥は通路が細くなっており、通路を10メートルほど行くと、山の裏側に出た。
ぼくが中学生の頃に、その穴は埋められてしまった。
理由は「危険だ」ということだった。

その穴が自然に出来たものでないことは、まだ幼かったぼくにもわかった。
では、いったい何のためにその穴は掘られたのだろうか。
長い間、そのことはぼくの中で疑問であった。
ぼくの住む一帯は埋め立てて住宅を作った場所であるため、そのことを知っている人もいない。
町の歴史にもそのことは書いていない。
仮に防空壕であったとしたら、「この辺も空襲にあいました」くらいのことは書いているはずだが、それもない。
実際、爆撃を受けていたとしたら、終戦後それほどたっていない時期だから、付近に空襲の傷跡が残っているはずだ。
しかし、長いことこの地に住んでいるが、そういう場所があるとは一度も聞いたことがない。

しかし、防空壕でないとしたら、その穴はいったい何のために掘られたのだろうか。
木の実がなるとか、果物が採れるとか、畑があるとか、そういう生産性のある山ではなかった。
だから、その穴が貯蔵庫に使われたという推理は立てにくい。
古墳などという歴史的なものでもない。
それなら、当然郷土史に書いてあるはずだ。
墓穴でもない。
そういう雰囲気を漂わせる山ではなかった。

やはり防空壕が妥当なのだろうか。
そうであれば、以前ぼくが、もんぺ姿のおばあさんの霊や、戦時中の格好をした子供の霊を見たことも納得がいく。
戦時中、ぼくの住んでいる場所は入り江で、防空壕付近で死んだ、子供や年寄りの遺体を、当時岬であった後のハゲ山から投げ捨てた。
そういう浮かばれない霊を、ぼくは見たわけだ。
また、こういう話もある。
2,3年前、ぼくと同じ団地に住むじいさんが死んだ。
そのじいさんは、死ぬ前に奇妙な行動をとっていたという。
団地内の駐車場に塩をまいていたというのだ。
近所の人が「何をしているんですか」と聞くと、じいさんは「ここにはたくさん霊がいるので、清めているところです」と言ったという。
その駐車場とは、今の団地に建て替える前にぼくが住んでいた場所である。
そう、ぼくが「もんぺ姿のおばあさん」の霊を見た、まさしくその場所である。
ぼくがその場所に住んでいた時、ばあさんの他にも、白い影や、誰もいないはずの階段に人の気配を感じたりしたものだ。

さて、あの洞穴は何だったのだろうか。
ぼくが見た霊に、何らかの関係があるのだろうか
この謎は年々、ぼくの中で深まるばかりである。


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