東京にいた頃、よく読んでいたのが『少年チャンピオン』だった。 東京に出る前に、友人から「チャンピオンに面白いマンガが載っとるぞ」と聞いて読み始めたのだった。 『少年チャンピオン』といえば、『少年キング』と並び、それまでぼくが読んだことのない雑誌のひとつだった。 それまでに、そこに連載しているマンガで、読んだことがあるものといえば、永井豪の『あばしり一家』ぐらいだった。 その当時話題になっていた『がきデカ』と『ドカベン』は知ってはいたが、読んだことはなかった。
友人から面白いマンガの存在を知らされたぼくは、さっそく読んでみることにした。 しかし、別段これと言って面白いものではなかった。 「これのどこが面白いん?」 「面白いやろうも。ちゃんと読んでみてん」 何度か続けて読んでみたが、ぼくにはその面白さがわからなかった。 そして、「全然面白くない!」と言って、ぼくはそのマンガを読むのをやめた。
そのことがあって、何日かしてからのこと。 巷ではけっこうこのマンガが話題になっていた。 他の友人も、このマンガを絶賛していた。 「あまり面白くないのに、何でこうも受けるんだろう?」 そう思ったぼくは、もう一度そのマンガを読んでみることにした。 しばらく読んでいくうちに、突然このマンガのギャグが見えてきた。 「面白い!」 それまでは、理屈で読んでいたのだった。 理屈ぬきでこのマンガを読んでみて、初めてその面白さがわかったのだ。 さらに、このマンガはスピード感のあるマンガだったから、そのスピードに慣れるまでに時間がかかったともいえる。 『天才バカボン』以来、ギャグマンガから遠ざかっていたので、きっとギャグマンがを受け入れるセンスを失っていたのだろう。 ぼくは何度もそのギャグに耽ってしまった。 そして、はまってしまった。 そのマンガとは、後にギャグマンガの名作と謳われた、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』である。 このマンガは、ぼくの東京生活になくてはならないものとなった。 約2年間、毎週ぼくは少年チャンピオンを買い続けた。
さて、一度ギャグマンガの受け入れ態勢ができると、当然のように他のマンガも読んでいくようになる。 しかし、あまりに『マカロニほうれん荘』が強烈だったために、なかなか面白いマンガに出会うことはできなかった。 『マカロニほうれん荘』を読み始めてから1年半が過ぎた時、ついにそのマンガに出会うことになる。
その頃、ぼくは毎日代々木のピザ屋に通っていた。 価格が安かったのと、いろいろなマンガを置いてあったので、気に入っていたのだ。 そこで、何気なく少年マガジンを読んでいると、新人の読み切りマンガが載っていた。 初めてそのマンガを読んだ時、何か小学生の頃に読んだマンガを思い出して、懐かしさを感じたものだった。 画はそれほどうまくなかったが、内容がすばらしくよかった。 その後そのマンガは、連載されることになった。 小林まことの『1・2の三四郎』である。
この『1・2の三四郎』だが、一度ぼくの周りで「お前、三四郎のモデルじゃないんか」と話題になったことがある。 理由は、柔道部に参加していたこと。 試合表にうちの高校の名前が出ていたこと。 桜五郎の嫁さんのコーキーさんの博多弁は、実は北九州弁であること。 そして、何よりもそれらしかったのが、『黒崎高校の柳』である。 ぼくが柔道部にいた頃、一時廃部の話が出たことがある。 上級生がやめ、部員が極端に減ったのだった。 ぼくは慌てて部員集めに精を出した。 そして、7名の部員と16名の会員を確保した。 その16名の会員の中に、柳という男がいた。 がり勉タイプで、線が細く、まったくスポーツとは縁のない男だった。 何度か部室に訪れたが、結局長続きせず、「肺に穴が開いた」とか言って辞めていった。 実はその柳が、黒崎中学の出身だったのだ。 『黒崎高校の柳』と『黒崎中学の柳』、絶対そこには何かある、となったわけである。 真偽のほどは知らないが、もしかしたら本当に何かあったのかもしれない。 しかし、ぼくは三四郎みたいに強くなかったし、また精神力で背を伸ばすような甲斐性のある男ではない。
その後、作者の小林まことが新潟の出身とわかり、「黒崎とは新潟の黒崎のことやろう」ということになり、疑いは晴れた。 しかし、今になってみると、ちょっと惜しい気もする。
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