| 2002年05月26日(日) |
日記のテーマが決まらない |
この日記を書き出して、今日で1年と4ヶ月になる。 熱しやすく熱しやすく冷めやすいぼくとしては、異常な持続力である。 いつか反動がくるだろう。 ぼくは一度休んだりすると、もう二度としたくなくなる性格である。 その日が来ないことを、自ら望んでいる。 しかし、毎日書いていると、たまに何を書いていいのかわからない時があるものだ。 今日がその日である。 夕方5時頃から、何を書こうか悩んでいるのだが、結局この時間まで、今日の日記のテーマは決まらないでいる。
困ったものだ。 思考も肉体と同じで、力むと何も出てこない。 そういう時は、去年の日記を読むというのも一つの打開策である。 と、去年の5月26日の日記を開いてみると、やはりその日はロクなことを書いていない。 『一日中寝て、いらんことを考えていました』だと。 アホか! ちゃんと、翌年の日記の役に立つようなことを書いておけ。
ところで、この頃の日記は「ですます調」になっている。 今はえらそうに書いているが、この頃はまだウブだったのだ。 まるで小学生の作文である。 ニワトリやアヒルの話なんか、誰も読みたくなかっただろうに。 でも、この頃はまだ身内にしかこの日記を教えてなかったから、こういうのでもよかったのかもしれない。
そういえば、ぼくは学生時代を通じて、作文は得意なほうではなかった。 どうも文章に自信を持てなかったのだ。 というより、文章に興味がなかった、と言ったほうが正しいだろう。 ぼくが文章に興味を持ち出すのは、高校を卒業してから、そう、詩を本格的に書き出した頃からだった。 それと同時に読書癖も始まった。 小説、論文、思想書、哲学書、エッセイなど、ありとあらゆる本を読みまくった。 おそらく、そういう文章から刺激を受けたのだろう。 それから、自分なりに文章を工夫するようになってくる。 たしかに、その頃の日記は、排他的で独りよがりな文章である。 こういうところで、お見せするのも恥ずかしい。 しかし、高校時代の作文と比べると、かなり成長の後がうかがえる。 言葉の使い方が、確実に大人になっているのだ。 そうなると、自分の文章に酔ってくる。 だんだん自信のようなもの出てきて、いろんな人に手紙を出すようになった。 内容はくだらないものばかりで、もらった方も迷惑だっただろうが、しかたない、こちらは酔っていたのだ。
その後、酔いを醒まされる文章に出会う。 23歳の頃に、毎日新聞で『ひと』欄を担当していた、内藤国男という方の本を読んだ時だ。 わかりやすさといい、説得力といい、全然違った。 最初は文章の模倣をしていたのだが、その文章力の差は埋めることは出来なかった。 正直言って、ぼくは文章を書くのが嫌になった。 それから、ぼくは詩のほうに力を入れるようにした。 しかし、これもものにならず。 もはや、この時には詩を書く興味が薄れていた。 それから、ホームページを始めるまで、たまに詩を書いていたぐらいで、文章からは遠ざかっていたのである。 だから、この日記を始めて4ヶ月の文章というのは、あの程度でしょう。 ま、今もあまり進歩はないけどね。 今のぼくにあるのは、その日にふと思いついたネタだけです。
さて、作文といえば、ぼくが小学5年か6年の時、こういう作文を見たことがある。 「わたしかたかすかすき。でもさしんかもてない・・・」 実にユニークな文章である。 ぼくがどれだけ努力しようとも、こういう文章は書くことが出来ないだろう。 わかりますか? ぼくのクラスの男子は全員で、この解読に取り組んだ。 解読できるまで、2〜3日要したと思う。 答は、「私はタイガースが好き。でも、写真(ブロマイドだろう)を持ってない。・・・」だった。 実に暇なクラスだった。
それはそうと、今日のテーマがまだ決まらないでいる。 さて、何を書こうか?
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