沖縄に行った時、バスガイドが「この国際通りは、文字通り国際的な通りで、世界各国の人がここに訪れます。特にアメリカ人、台湾人、韓国人、それとフィリピン人などが多いですね」と言った。 ぼくたちはそれを何気なく聞いていたのだが、「フィリピン人」と言った時に、ドッと笑いが起きた。 バスガイドは怪訝な顔をして、「あのう、フィリピン人がおかしいですか?」と言った。 後輩君のフィリピーナ事件は、まだ後のことである。
では、ぼくたちは何を笑ったのか? ぼくがその頃働いていた会社(店)には、数多くの外国人が来ていた。 小倉が、停泊地の門司港や洞海湾に近いせいもあって、船が着くと、彼らは小倉の街に遊びに来ていた。 その中にフィリピン人の集団もいた。 彼らは店に来ると、各売場で「ディスカウント」を連発していた。 いくら英語が出来ない日本人でも、「ディスカウント」という言葉だけは通じることを、彼らはよく知っていたのだ。 「ディス・ワン、ディスカウント、ディスカウント、ディスカウント・・・」の嵐である。 ぼくたちは、この応対にいつも手を焼いていた。 それが、沖縄での「笑い」につながったわけだ。 事情を知らないバスガイドは、「ヤマトンチュは人種差別する」と、きっと思ったに違いない。
さて、フィリピン人だが、彼らの中には韓国からやってくる一団もいた。 門司港組と決定的に違うのは、彼らはお土産を買いに来たのではなく、商品を仕入れに来ていた、ということだった。 彼らは、こちらでターゲットの商品を安く叩いて買い、韓国で法外な値段で売りさばくのだ。 例えば、ぼくが担当していた部門の商品でいうと、ヤマハのキーボードがあった。 当時、売り値が12万円ほどしていた機種に人気が集まっていた。 これを叩きやがる! 「ディス・ワン、エイティ・サウザンド、ダイジョーブ?」 「ノー、ダイジョーブ」 「オー。ナインティ・サウザンド、ダイジョーブ?」 「ノー、ダイジョーブ」 「オー。ワンハンドレッド・サウザンド、ダイジョーブ?」 「ノー、ダイジョーブ」 ・・・・・ この繰り返しである。 だいたい妥当な線まで、こちらは吊り上げて、最終の価格を提示する。 彼らは一応それで納得するのだがのだが、そこはプロである。 今度は、その価格を基準にして、「○台買うからまけろ」という交渉をしてくる。 うちの店は小売業であって、卸業ではない。 しかし、こちらの事情を説明しようにも、言葉が通じない。 これには困った。 「買わんでいいけ、帰ってくれ」と言っても通じない。 結局、そこから何パーセントかの値引きをして、それで手を打って帰ってもらうことになる。 おかげで、売り上げは上がるのだが、利益率がかなり減ってしまった。 一方、彼らは安く叩いた商品を、韓国で40万円(現地で400万ウォン)で、売りさばいたという。 さすがプロというか、しかし腹立たしかった。
ところで、ぼくにはその頃、ジュンちゃんというフィリピン人の友だちがいた。 奥さんが日本人で、その影響を受けていたのだろう、感性も日本人らしかった。 彼は、あるバンドのボーカルをやっていたのだが、歌唱力はかなり凄いものがあった。 ぼくは、そのバンドの絡みでジュンちゃんと知り合った。 それ以来、ジュンちゃんは店によく遊びに来るようになった。 よく買い物もしてくれた。 ある日、そのジュンちゃんが「ぼく、今度テレビに出るね」と言ってきた。 話を聞くと、あるテレビ局主催の外国人カラオケ大会に出場するとのことだった。 そのためのオーディションを受けることになった、という話だった。 「でも、オーディションは受かるね。大したことなさそうやけ」 「うん、ジュンちゃんは歌がうまいもんね。うまくいけばプロデビューやん」 ジュンちゃんは「へへへ」と笑っていた。 ちょうどその時、ミエコもそばにいたのだが、「よ、大スタージュンちゃん」などとからかっていた。
ところがその後、ジュンちゃんは店に来なくなった。 ミエコはジュンちゃんの話が出るたびに、「ジュンちゃん、どうしたんかねえ。もしかしたら、落ちたけ来にくいんかねえ」と言って、意地の悪い笑みを浮かべていた。 「お前がいらんこと言うけよ」 「私何も言うてないやん」 「『大スター』とか言うたやないか。ジュンちゃん、その気になっとたけの」 「だって、面白かったやん」
その後ある人から、ジュンちゃんがオーディションに落ちたというのを聞いた。 やはり落ち込んでいたのだろう。 ぼくがその会社を辞めてからも、しばらく店に顔を見せなかったという。 そのへんが、また日本人らしい感性、とも言える。 ジュンちゃんが店に来なくなってから、ぼくは10年以上、ジュンちゃんとは会ってない。 現在、ジュンちゃんは博多で、歌手をやっているらしい。 機会があれば、あのすごい歌唱力を聞きたいものである。
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