今日も霊のおかげで更新が遅くなりそうだ。 昨日は霊のことなど書くつもりはなかったのだが、どうしても書けと霊がせがむので、一応霊の顔を立てた次第である。 それで納得したのか、昨日は金縛りにあわなかった。
では、昨日は何を書こうと思っていたかと言うと、「ちょっといい話」を書くつもりでいたのだ。 最近日記を書くのが、「辛い」とか「きつい」とか思うことがよくある。 さすがに一年以上も日記の更新を続けていると、次第に書くこともなくなってくる。 「その日に起こったことや、考えたことを書けばいいじゃないか」と言ってくれる人もいるのだが、毎日変化に飛んだ生活を送っているわけでもないし、毎日お客さんとバトルをやっているわけでもない。 基本的には、午前7時半に目が覚めて、9時に家を出て、10時から店が開店して、午後4時から昼食をとり、8時20分に会社を出て、8時39分に家に着き、9時30分に風呂から上がり、10時30分から酒を飲み、11時からパソコンに向かうだけの毎日である。 仮に「その日に起こったこと」を日記に書くとすれば、毎日「基本的」を書かなければならなくなる。 「その日考えたこと」といっても、いつも何を考えているかと言えば、「これが終わったら、あれをせないけん(あれをしなければ)」ということだけだ。 こんなことを日記に書くわけにはいかないだろう。 こういう変化のない毎日の中で日記に取り組んでいるから、つい「辛い」だの「きつい」だの言う愚痴が出てしまう。
「辛い」「きつい」 もしジョセフ・マーフィーやノーマン・V・ピールといった積極思考の人が、そういうマイナス思考の言葉を聴いたら、「そういうことを口にするのは今すぐやめなさい。さもないと、あなたは口にしたとおりの人生を歩むことになるだろう」と言ってくるだろう。 たしかに以前のぼくはこういう言葉を使わなかった。 こういう言葉を使うと落ち込んでいくような気がしたからだ。 しかし、最近は違う。 こういう、マイナス思考言葉を好んで使うようになった。 それには理由がある。 何年か前に、上岡龍太郎の出ている番組を見たことがある。 その時彼は、マラソンの話をしていた。 「いつも走っているコースに『辛いなあ、きついなあ』と思う場所がある。 よく考えてみると、そこは上り坂だった。 逆に『楽だなあ』と思う場所もあるのだが、そこは下り坂だった。 これは人生でも言えるのではないか」 という話だった。 これを聞いて、何か勇気をもらったような気がした。 ぼくがマイナス言葉を好んで使うようになったのは、この話を聞いてからだ。 「辛い」「きつい」と思う時が人生の上り坂だと思えば、こんなに楽しいことはない。 「辛い・きつい、どんどん来てくれ」という気にもなる。 だから日記を書く時にも、「今日はきついのう。でも上り坂だ。いいことあるぞ」といつも思っている。 書くことが浮かばない時も、この気持ちで何とか乗り切っている。
もしこの日記が何時になっても更新されないでいたら、「しんたは上り坂なんだ」と思うようにして下さい。
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