先日、海老一染太郎が亡くなった。 よく笑点や正月番組で見ていたが、目をひん剥いて「おめでとうございます」と言うたびに、「この人きっと、口にいっぱい唾を溜めているんだろうな」と思っていた。 しかし、この芸一本で生活していたんだから、凄いと言わざるを得ない。 昨日は弟の染之助が、「おめでとうございます」で送り出したとのことだった。 もうあの顔が見れないのかと思うと、少し寂しい気がする。
ぼくが人の死で一番ショックを受けたのは、手塚治虫だった。 何か少年時代が終わったようで、辛い思いがしたものだ。 その晩、ぼくは「鉄腕アトム」「マグマ大使」「W3」「悟空の大冒険」「ビッグX」「リボンの騎士」といった、一連の手塚アニメの主題歌を聴いた。 今でもそうだが、手塚アニメの主題歌を聴くと、勇気とやさしさが出てくるから不思議である。 その最中、『ところで、「どろろ」の最終回はどうなったんだろう?』という疑問が頭の中をよぎった。 その翌日、さっそく本屋に「どろろ」を買いに行った。 その疑問は「どろろは女の子だった」で解決したのだが、一緒に買った手塚作品の面白さから、狂ったような手塚作品買い漁りが始まった。 2ヶ月ほどそれは続いたが、その間手塚作品に5万円ほど費やした。 そして、あの名作「シュマリ」に出会う。 容姿といい、性格といい、ぼくによく似ている。 「手塚先生はおれをモデルにしたんじゃないか?」と思ったほどだった。 これも手塚先生の死が引き合わせてくれたんだろう。 偉大な人だった。
さて、死んだはずの人が本当は生きていた、という噂はいつの世にもある。 古くはイエス・キリスト。 彼は、聖書では復活したことになっている。 ここにもう一つ、イエスに関する記録がある。 「実はあの時十字架にかけられたのは弟のほうで、イエスは脱出し日本に来ていた。 そして108歳まで生きた。 カゴメカゴメはその時イエス・キリストが教えたものである」というものである。 竹内文書に出てくる有名な話である。 これは、後の源義経=チンギスハーン伝説とは種類の違う説である。 義経の場合は、判官びいき的な要素が強い伝説であり、「そう考えてもおかしくない」、いや「そうであって欲しい」という種類のものである。 一方のイエス・キリストは、「そうであって欲しい」ではなく、「そうだったら面白い」という類のものである。 後に「だからどうなんだ?」というのが、必ず付いてくる話である。
近いところでは、東京裁判で絞首刑にされた、東条英機ほか6名。 「彼らは、連合国に殺されるようなことは一切やっていない。 それを連合国側も悟ったのか、一応絞首刑にしたように見せかけて、実はほかの場所に身柄を移していた。 死体を見破られないように、すぐさま焼かせ、粉々にして海に捨てた。 絞首刑のはずなのに棺には血が付いていた。 骨を粉々にした人は、『ブタか何かの骨のようだった』と証言している」という話。 もしこの話が嘘だとしたら、米国は永久に戦犯国になってしまう。 あのずる賢い米国が、国際法にどう照らしても無罪の人たちを簡単に処刑するようなことをするだろうか? 日本以外の法律家は、あの裁判は無効だと言っている。 もしかしたら近い将来、真実が明らかになるかもしれない。 いくら厚顔無恥の米国といえど、歴史に汚点は残したくはないはずだ。
最後に、これはぼくの憶測であるが、あの初代引田天功は生きている。 どう考えても、あの死はおかしい。 前から容態が悪いなんて聞いてなかった。 突然だった。 「引田天功死す」の報道を聞いた時、ぼくは「これも彼一流のマジックじゃないか」と思ったものである。 「1年ほどで出てくるんじゃないか?」と思ったが、それではあまり芸がないので、「これは10年、20年先になるんじゃないか?」と思うようになった。 その後、「2代目が死んだ後に復活するんじゃないか?」と思い、最近では「いや、2代目を見ていると、もしかしたらあのテロ国家Kに拉致されているんじゃないのか?」と思うようになった。 いずれにしても、ぼくの中では、初代引田天功は生きている。
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