小学生の頃から柔道をやっていたせいだろうが、ぼくは長い間O脚に悩んでいる。 ぼくが自分のO脚に気づいたのは、中学の時である。 何気なく保健体育の本を読んでいると、O脚とX脚のことが書いてあった。 最初は何のことかわからなかったが、説明と図を見てそのことを理解した。 そして、「おれはどうなんやろう」と気をつけの姿勢をとり、ひざのところを見たら、しっかり隙間があった。 O脚である。 確かにズボンの線を見てみると、「( )」になっていた。 「カッコ悪いのう」と思い、矯正法を見てみると、「足を広げて立ち、ひざとひざをくっつけ、その状態で地べたに座る」という図が載っていた。 言葉にすると難しいが、イチローがストレッチでよくやっている、あの座り方である。 いわゆる女座りというやつである。 「その座り方をやってO脚を治そう」とやってみたが、痛い。 全然座れない。 焦らずゆっくりやればいいものを、無理やりその姿勢で座っていたため、筋を痛めてしまった。 その痛みが激しかったせいで恐怖心が植えつけられ、その後その座り方が出来なくなった。
ぼくはよく、オープンな性格だと言われる。 どんな人ともわだかまりなくしゃべり、自分をさらけ出すほうなのだが、やはりコンプレックスというものはある。 中学・高校を通じて、5月頃から10月頃までの体操服はトランクスであった。 中学の頃はそれほどでもなかったが、高校に入ると色気づいたのか、毛もじゃO脚の、この醜い脚を女子の前でさらすのは嫌だった。 体操服を着ると、いつも女子の視界に入るのを恐れていた。 もちろん水泳の時間もよくサボっていた。 その頃は、別にO脚を治すための矯正をやってはいなかった。 ただ、自分がO脚であることを忘れようと努めていたのだ。
高校3年の夏、柔道部引退とともに柔道をやめた。 その時、柔道をやめたことでO脚が治っていくんじゃないか、という期待があった。 が、卒業しても東京に出ても、このO脚だけは治らなかった。 いや、治らないというよりも、女座り以外の治し方を知らなかったのだ。 社会に出てからは、「O脚は、一生治らないだろう」と諦めてしまった。 もはや体育もないわけだし、「このままでいいや」という開き直りであった。 開き直ってから十数年後、厄介なことがおきた。 春から秋にかけて、脚に汗をかくようになったのだ。 少し歩いただけでも、ズボンが湿ってくる。 ある日の夜中、布団がびっしょり濡れているのに気が付いた。 おねしょをしたんじゃないか、とびっくりして飛び起きた。 よく調べてみると、脚からどんどん汗が流れている。 こういう理由から、夏季には長ズボンをはけなくなった。 ということで、またO脚に悩むようになった。
しかし、今度は何とかして治そうと、前向きな姿勢になった。 いろいろな本を読み対策を練った。 ひざを縛り付けて寝たり、脚を引っ張って牽引をしたり、風呂から上がってからマッサージをしたり、とにかく涙ぐましい努力をした。 が、一向にひざの隙間は埋まらない。 「やはりだめだ」と諦めかけたときだった。 「思いっきりテレビ」とある本で、O脚を治す方法をやっていたのだ。 「思いっきりテレビ」のほうは、一日2,3回、3分間両脚をくっつけて爪先立ちをする、という簡単なものだった。 実験に参加した主婦は、当初ひざとひざの間が指4本分開いていたのだが、その方法を一週間やると指2本分まで改善されていた。 「これはいい!」とぼくはその方法をやってみた。 しかし、一週間後、ひざの隙間を測ってみたが、相変わらずであった。
今度はもう一方の本の方法を試みた。 これもやり方は簡単で、5センチほどの厚みのある本の上につま先を乗せ、ひざを伸ばし、かかとで立つのだ。 一回につき1,2分、暇があるときにやればいい、と書いてあった。 ぼくはこの方法を、一日何回などと決めずに、気が向いた時にやるようにした。 これをやると、ひざが充分に伸びる。 終わったあと、ひざの裏にズボンが触れる感触が実にいい。 続けていくうちに、階段の上り下りも疲れなくなった。 腰にもいいようだ。 気が付けば、ひざの隙間が狭くなっている。 忘れていても、思い出したときにやる。 やればやるだけ効果がある。
さて、今日のこと。 風呂に入る前に、ちょっとひざの具合を確かめた。 力を入れなくてもひざの隙間は狭くなっている。 「もしや」と思い、少し力を入れてみた。 すると、今まで力を入れても1センチほど開いていたひざ間が、ぴったりとくっついた。 やりましたね。 「一念岩をも通す」である。 あまりに嬉しかったので、日記に書いたしだいです。
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