ぼくはそれまで、「ジャンジャカ、ジャカ、ジャカ」とピックを使ってストロークばかりやっていた。 しかし、ギターの醍醐味はやはり指で奏でることだろう。 そう思って、ギターを始めた当初から無視してきた教則本にお世話になることにした。 楽器屋に行って、フィンガー・ピッキング奏法中心の教則本を買い、早速挑戦した。 まず、アルペジオから始めた。 案の定、うまくいかない。 音符通りに指が動かない。 一音一音のバランスが取れない。 指に力が入らない。 毎日毎日指を動かす練習をした。 指に重りをつけてもみた。 授業中、入浴中、トイレの中でも指を動かし続けた。 それでもうまくいかない。 「もういい。おれはピック一本でいく」と何度思っただろう。 10日ほどして、何とか指が動くようになった。 教則本に載っていたアルペジオの課題曲は3曲だった。 一応、教則本のアルペジオは出来るようになった。 試しに拓郎の「雨」などをコピーしてみた。 ぎこちないものの、何とかうまくいった。
次に厄介なものが待っていた。 スリーフィンガー奏法である。 リズムの取り方が全然わからない。 しかも課題曲は知らない曲ばかりだ。 当時の教則本というのは、テープやソノシートなどが付いた本などは、ほとんどなかった。 「こればかりは独学ではどうにもならんのか。といって、人から教わるのは好かんし。どうしよう?」 しかし、その頃のぼくには情熱があった。 読めない楽譜を自分なりに読んで、何とかスリーフィンガーのリズムをつかんだ。 「ベースランニング」や「ハンマーリング・オン」「チョーキング」といった高等テクニックは出来なかったが、何とかスリーフィンガーの形にはなった。
さて、スリーフィンガーが出来るようになった頃、一つの事件がおきた。 それは、体育の授業中のことである。 バスケットの試合をやっていた時、相手のボールを捕ろうとして、右手の小指をボールに引っ掛けてしまったのだ。 かなり痛かった。 が、ただの突き指だろうと湿布をしておいた。 もちろん、ギターの練習もした。 翌日、朝起きてから異変に気が付いた。 その指が脹れあがり赤黒くなっているのだ。 小指を曲げると、何か「ギーギー」といっているような感じがする。 「折れたか!」 その時ぼくはすぐに決断した。 「病院には行かん」 元来の病院嫌いである。 骨が折れたのは、生まれて初めてのことだったが、病院に行くとギプスをされる。 そうなるとギターが弾けなくなる。 ということが、すばやく頭の中を駆け巡ったのである。 自分の体のことよりギターを選んだぼくは、その後何十年も右手の小指の痛みと闘わなければならなくなる。
一方、ギターのほうは順調に上達していった。 スリーフィンガーもある程度はマスターした。 しかし、何かが足りない。 テレビで弾き語りをしているのを見ると、左の指がひんぱんに動いているのだ。 それに比べ、ぼくはコード固定で弾いていたため、演奏が一本調子になり面白くない。 ほかの教則本などを見ても、左指の動きなどは書いていない。 「これは何で勉強したらいいんだろう」と思っていた。 いろいろ本などで調べていると、ある広告が目に付いた。 「エレックレコード/はがとまるニューフォークギター教室」という通信講座の広告だった。 「エレックレコードなら間違いないやろう」と資料を取り寄せた。 半年間の講座で、値段もそう高いものではなかった。 さっそくぼくは入会した。
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