高校一年の5月、ラジオでよしだたくろうの新しいアルバムの特集をやっていた。 「伽草子」である。 何曲か流していたが、その中の一曲にすごい衝撃を受けた。 何か頭をガツンと殴られたような感じがした。 その一曲とは、「制服」という曲だ。 このアルバム中唯一の、ギター一本弾き語りである。 ぼくはそれまでにも拓郎の歌を聞くことはあったが、その他の流行歌のようにただ聞き流すだけだった。 「今日までそして明日から」を聴いても、「ああ、これがフォークソングというんだな」と思う程度だった。 しかしこの歌は違った。 歌詞は単純なのだが、熱く迫ってくるような「語り」であった。 ぼくは、こんな歌を聞いたのは初めてだった。 さらにすごかったのがギターであった。 簡単なフラットピッキング奏法なのだが、ベース音を効果的に使い、説得力がある。 もちろん、こんな演奏を聴くのも初めてであった。 火がついた。 こんなの聴かされたら、一刻も早くギターが欲しくなるものである。 ぼくの「ギター欲しい」は、「ギターを弾きたい」という漠然とした理由から、「オリジナルを作って弾き語りをしたい」という具体的な目標へと変わった。
ぼくがギターを手に入れたのは、それから半年後、11月のことであった。 たしか堀田というメーカーのギターだったと思う。 親戚からもらったものだった。 手に入れた翌日、ぼくは楽器屋に行って、ピック・ピッチパイプ・カポタスト、それと拓郎の楽譜本を買った。 最初から教則本無視である。 楽譜本にはダイアグラムとストロークの仕方が付いていたので、そのとおりに弦を押さえて弾けばいいと思ったのである。 まず、簡単そうな曲を選び、一つ一つコードを覚えていった。 すばやくコード進行が出来るように、繰り返し繰り返し練習した。 最初は一曲あたり、1週間を要した。 だんだん、その間隔も狭くなっていったが、ここでひとつの難関にぶち当たった。 コード「F」である。 いわゆるバレーコードである。 人差し指で、6弦全部を押さえなければならない。 これが出来んのです。 その当時は、ギターがそううまくない奴でも、Fを弾けると聴いただけで「こいつ天才やのう」と感動していた。 そのくらいFは初心者には難しい。 「Fが押さえられなかったから、ギターを断念した」という話を、嫌になるほど聞かされたものである。 とにかく、ギターに対する情熱だけはあったから、「ここで負けるわけはいかん」と、ぼくにしては珍しく根性を見せた。
1ヶ月かかったが、何とか音は出るようになった。 さて、次はリズムである。 むちゃくちゃだった。 何とか弾けるようになった曲を、レコードに合わせて弾くと、だんだん音がずれてくる。 一曲終わった頃に、まだ何小節か残っている状態である。 音にの抑揚がなく、ただ弾いているだけであった。 しかし、ここでもぼくは根性を見せた。 ちゃんとリズムが合うまで、何日間もかかって練習したのである。 当時ギターの練習時間は、毎日4時間を超えていた。 指が切れるまでは行かなかったが、左指の先は弦の錆などで変色してしまっていた。 とにかく、後にも先にも、逃げないで一つのことをやったのは、このギターの練習だけである。 一曲出来たら次の曲、というふうに飽きずに地味な作業をやったものである。 主だった曲を一通り出来るようになったのは、ギターを始めてから3ヶ月くらい経ってからだった。 その後に、もう一つの難関が待っていた。
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