店に勤めていると、いろんなことがあるものだ。 今日、ぼくの販売人生で初めての事件に遭遇した。
午後2時前だった。 ぼくが倉庫から売場に帰ってくる途中、「2階の駐車場に人が倒れている」という情報が入った。 ぼくは、新しく店長代理になったIさんと二人で現場に駆けつけた。 見ると、五十面のおっさんがそこに倒れている。 いびきをかいてなかったので、脳内出血じゃないと楽観していたのが大きな間違いだった。 近寄ってよく見てみると、駐車場の車止めのところに頭を向けていたのだが、頭からけっこう多量の血が溢れ出ている。 洗面器の半分ぐらいの量は出ていただろう。 「死んどるんじゃないんか?」と思いながら、Iさんと二人で声をかけた。 「おいさん、大丈夫ねー」と言っても返事がない。 息をしているかどうか確かめようと近づいた時、そのおっさんの脚が動いた。 どうやら死んではなさそうだ。 しかしこのまま放っておいてはいけない。 と、Iさんが救急車を呼びに行った。
ぼく一人になった。 こういう時、素人は何をしていいのかわからない。 ただわかっているのは、頭を打っているようなので、絶対に動かしてはならない、ということだけだった。 そうこうしているうちに、おっさんが動き出した。 「おいちゃん、動いたらいけんっちゃ」とぼくは軽く体を抑えた。 しかし力だけは、まだあるようだ。 こちらが力を入れて、もしものことがあってはならない。 そこでぼくは手を離し、おっさんの様子を見ていることにした。 ぼくが一人でいた時間は3分ぐらいだったが、えらく長く感じた。
2階に上がるループから、社員のHさんがやってきた。 ぼくはホッとした。 しかし、二人になっても何をするでもない。 ただ、救急車が来るまで、おっさんが動かないように見ているだけである。 ちょっと離れた場所からお客が見ていたが、大の大人が二人で、倒れたおっさんの前で何もせずに立っている姿は、きっと間抜けなものだっただろう。 怪我の応急処置を知らないわけでもないのだが、箇所が頭ともなると止血の仕方もわからない。 まさか首を絞めるわけもいかないし。 ただ、タオルで頭を抑えることしかわからない。 それも、下手に抑えるわけもいかないから、とりあえずおっさんの頭にかぶせておいた。
「しかし、どうして倒れたんかなあ」 初めてどうして倒れたかの話になった。 それまでは、おっさんの状態が気になっていたので、どうして倒れたのかなどと考える余裕はなかった。 「殴られて倒れたんじゃないか」 「犯人は怖くなって逃げたんでしょうかね」 「あ、こんなところに小便しとる」 そのおっさんが倒れていたのは、駐車場の壁面だった。 壁をよく見てみると、小便が流れていた。 どうやら失禁ではなく、立小便をしたようだ。 「さっきから気になっとったけど、この車はなんですかねえ。鍵も付いたままになっているし。もしかして犯人の車ですかねえ」 おっさんの横には、ぼろぼろの車が停まっていた。 車の中を覗いてみると、運転席に靴が脱いであった。 そのおっさんはサンダルを履いていた。 おっさんの横には車の鍵が落ちていた。 謎が謎を呼ぶ事件である。 ぼくは鍵がなくなったら困るだろうと、おっさんのポケットの中に入れておいた。
ぼくたちがいろいろと推理をしているところに、Iさんが戻ってきた。 手にたくさんのタオルを持っていた。 Iさんは、救急隊から「タオルか何かで傷口を押さえとけ」と言われたらしい。 ぼくがタオルを頭にかぶせたのは間違っていなかったようだ。 ただ、手で抑えておかなければならなかった。 Iさんが「そういえば、しんた君店内放送で呼ばれよったよ」と言った。 ぼくは成り行きを見届けたかったのだが、今日は従業員が少なかったので、しかたなく売場に戻った。
用事を終え、現場に行ってみると救急車が来ていた。 「車検証で身元がわかるけど、この人鍵を持ってないかなあ」と言っていたところだった。 ぼくは「この人の横に鍵が落ちていたので、ポケットの中に入れましたよ」と言った。 救急隊がポケットを探っていたが見つからない。 「ないよ!」と履き捨てるように言った。 ぼくはムッとして、「ちゃんと左のポケットに入れた。ちゃんと探して下さい」と言った。 おっさんを救急車に乗せたあとに、ポケットの中からその鍵が出てきたが、役には立たなかったようだ。
救急車が出発してしばらくしてから、警察がやってきた。 ぼくたちが血や小便の後始末をしようとすると、「現場検証が終わるまで、そのままにしておいてください」と言った。 それにしても、すごい血である。 あんな大量の血を見たのは、ぼくが高校の頃に鼻血を出した時以来だ。 まあ、頭の傷だから大げさに出血するのかもしれないけど。 そのうち店長が来て、「もう、売場に戻っていいよ」と言った。
閉店後、事務所に行くと、大量の「清め塩」が置いてあった。 血や小便は、そのままにしているらしかった。 明日掃除して、塩をまくとのこと。 ぼくが「あのおっさん、死んだんですか?」と聞くと、店長は「いや、死んでない」と言った。 ただ、頭蓋骨が陥没していたらしく、くも膜下状態だということだった。 原因はいまだに不明だが、おっさんは酒気帯び運転でうちの店まで来たということだった。 おそらく、こういうことだと思う。 駐車場に車を停めて、靴をサンダルに履き替え外に出たおっさんは、寒さと酔いのために急に小便がしたくなり、車の後ろで立小便をした。 そのあとで、店に行こうとしたが、何かの拍子に転んでしまい、車止めで頭をしたたか打ってしまった。 顔には何も外傷がなかったから、殴られて倒れたわけでもないだろう。 要はただの事故だったわけだ。
しかし、あれだけの血を見ても、ぼくは少しも動揺しなかった。 しかも、そのあとに食事をしたのだが、今日はいつもより弁当がおいしく感じた。 以前なら、気分が悪くなって、弁当も残していただろう。 おそらく、精神的に成長したか、不感症になったかのどちらかであろう。
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