「今日は二十四節気の一つ“大雪”です」とニュースで何度も言っていた。 今日は昼から銀行に行ったのだが、普段より少し寒く感じた。 いよいよ冬だ。ぼくの一番嫌いな季節がやってきた。 とはいえ、ここ数年の12月は、まだ秋の延長という感じでそこまで寒くならない。 少なくとも、ぼくが高校の頃は12月になるとけっこう雪が降っていた。 当時友人と「寒さを我慢する」という意地の張り合いをよくやっていた。 靴下を履いて行かなかったり、学生服の下に何も着て行かなかったり、とにかく馬鹿なことをよくやっていた。 おかげで風邪もよく引いたものだ。 しかし、今はたまに半袖で過ごせる日もあるし、靴下を履いていると暑く感じることもある。 今日はともかく、数日前はそういう気候だった。
だんだん日本も亜熱帯化しているのかなあ。 寒くないということでいえばそのほうがいいけど、もしそうなれば、梅の花がほころぶ頃の、あのほのかな暖かさを味わえなくなる。 その時期に太宰府などの梅の名所に行って、熱燗をちびちびやるのは格別なものがある。 まあ、この楽しみを知ったので、その季節が好きになったというのもあるが。
また、沈丁花の香りも楽しめなくなる。 あの香りがすると、何かホッとするものがある。 やっと冬が終わった時の喜びといったらない。 こういう喜びも、厳しい寒さに耐えてきたからこそ味わえるものなのだろう。
もし年中真夏だったら、そんな喜びは到底味わえないだろう。 毎日毎日体温にも似た気温の中では、「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ(嵐雪)」などという俳句は生まれないだろうし、「夜の秋」といった風情ある季語も生まれてこないだろう。 言い換えれば、日本の文化は四季によって生まれたと言ってもいいだろう。 冬がなかったら、当然雪は降らないから、「合掌造り」の必要もなく、世界遺産がひとつ減っていたことになるだろう。 北斎の画も季節抜きでは生きてこない。 万葉集も古今集も、季節なしでは語れない。 俳句にいたっては、もし季節がなければ、そのほとんどが川柳になっていただろう。 年中夏なら、おでんも生まれなかっただろうし、鍋料理もなかっただろう。 燗をつけて飲むこともなかっただろう。 当然寒造りの新酒は飲めないことになる。これは一大事だ。 四季がはっきりしているからこそ日本は素晴らしい!
しかし、そうは言っても、やはり寒いのは嫌いだ。
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