一日休んだことで、張り詰めていた糸が切れてしまった。 「エアコンはもう終わったな」という思いでいっぱいだった。 翌日からヘルパーの人員整理が始まった。 まずボンが去った。 元々フロアー長から嫌われていたので、メーカーのほうも受け入れ先を早々と決めていた。 HTさんも、契約切れで去って行った。 「まあ、そういう契約やったけ仕方がない。次を探す」と言って辞めて行った。 他のメンバーも次々と辞めて行った。 最後に残ったぼくに、日立のIさんは「お前はどうする?好きなラジカセやってもいいよ」と言ってくれていたが、その頃には燃え尽きてしまっていた。 「どうしようか」と迷ったが、ボンもHTさんもいない店にはもう興味がなかった。 8月20日のことだった。 その日の朝、ぼくは長崎屋に行き、フロアー長に「次の仕事が決まったんで、辞めます」と言って、強引に辞めてしまった。
これでぼくの「長崎屋物語」は終わるはずだったが、運命はぼくを長崎屋から離してくれなかった。 長崎屋を辞めたぼくは、その後雑誌のライターやオーディオのセールスをやるが、何か燃えるものがなかった。 仕事中に、「ああ、長崎屋の人たちは今頃どうしているんだろうか?」などといつも考え、仕事に身が入らない。 ライターは1ヶ月続いたが、オーディオのセールスは1週間ほどで辞めてしまった。 「さて、どうしよう」と思い、働き口を探していたが、いいところが見つからない。
10月になった。 いつものように、ぼくは仕事を探しに職業安定所に行った。 その帰りのことである。 何か後ろから押されているような感じで、ぼくは長崎屋に行った。 フロアー長に会った。 「おう、しんた。今どうしてるの?」 それまでの経緯を話した後にぼくは、思ってもないことを口にした。 「フロアー長、もう一度雇ってもらえませんか?」 フロアー長も唖然とした顔をしていたが、「どこか空きがあったかなあ?」と言っているところに、東芝のセールスのSさんが来た。 フロアー長は「おお、いいところに来た。こいつを雇ってくれない?」と言った。 Sさんは、「ちょうど人を探していたところだけど・・・」と言いながら、ぼくのほうを見て「君、販売できるの?」と言った。 「一応、ここで3ヶ月ほどやってたんですが」 「じゃあ、実力を見せてもらおう」と、ちょうど売場に来ていたお客を指差して、「あの人に売ってみて」と言った。
ついていた。 そのお客はブライダルで店に来たのだった。 結局そのお客は40万円ほど買ってくれた。 それも、そのほとんどは東芝製品だった。 Sさんは目の色を変えてぼくのところに飛んできて、「明日から来て下さい」と言った。 いろいろ条件を出してくれ、給料は東芝でヘルパーに出せる最高の額を提示してくれた。 翌日から、再びぼくの「長崎屋物語」が始まった。
それから、就職が決まる2月まで長崎屋に勤めることになる。 長崎屋を辞めるまでの5ヶ月間は、自分でもよく働いたと思う。 売場は自分から希望して、暖房機の売場に行った。 エアコンで不完全燃焼していたせいもあり、季節商品にこだわった。 エアコンの不満を暖房機にぶっつけるように、よく売った。 汚れ役も自分から進んでやっていた。 とにかく手抜きせず自分でもよくやったと思う。 先の3ヶ月と違っていたのは、家電のある6階だけではなく他の階の人とも仲良くなったことだ。 おかげで何か買うときはいろいろ便宜を図ってくれた。 まあ、店長など上の人に挨拶をするほうではなかったので、そういう人たちからはあまり好かれてなかったが、そういうことは気にはならなかった。
2月に就職活動をしていた時に、フロアー長から「長崎屋に残らんか?行く行くは社員にしてあげるから」と言われ一応考えてはみたが、今考えると残らなくてよかったと思う。 就職が決まってから、東芝からも「社員にならんか」と言われたが、もはやヘルパーという稼業に未練はなかった。 ということで、2月末、ぼくの「長崎屋物語」は終わった。
その後も、嫌なことがあるといつも長崎屋に行っていた。 11年後その就職先を辞めた時も、長崎屋に「アルバイトさせてくれませんか?」と言いに行ったりもした。 もちろん「長崎屋物語」は終わっていたので、それは叶わなかったが。 とにかく定年後は「またここで働きたいな」と思っていただけに、今回の閉鎖は非常に残念である。
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