ラジカセ売場にいたのは、5月から7月中旬までだった。 その間もフロアー長とヘルパーの確執は続いていた。 フロアー長は以前からいるヘルパーを一人一人商談室に呼び出し、面談していった。 以前のフロアー長の息のかかった者に、忠誠を誓わせるのが目的だったようだ。 以前登場したMさんなどは、頭にきて壁を殴り、指の骨にひびが入ってしまった。
以前からいるヘルパーといえば、ボンもその一人だった。 フロアー長は以前からボンを嫌っていた。 ボンはフロアー長に呼び出されて、「ここを辞めてくれ」と露骨に言われたそうで、その日一緒に飲みに行ったHTさんとぼくにそのことを言った。 ボンはあまり深刻に考えるタイプの人間ではなかったので、あっけらかんとしていた。 聞いているぼくたちも、あまり深刻に人の話を聞くタイプの人間ではないので、HTさんとぼくは面白がって、「それで、何と答えたんね?」と訊いた。 するとボンは、「“はい、頑張ります”と答えた。こう答えるしかないやろ」と言った。 ぼくたちはそこを突っ込んだ。 「“頑張ります”? 何を頑張るんね?」 「一生懸命に仕事をやる、ということよ」 「それはおかしい。“辞めてくれ”と言われて、“はい、頑張ります”と答えたら、『辞めることを頑張る』ということになるやないね」 「そういうニュアンスで言ったんやないんやけど・・・」 「いや、誰が聞いても、そう受け取るやろう」 「そうかのう?」 ・・・その後も、ぼくたち3人で飲みに行く時には、いつも「あの時の“頑張ります”はおかしい」と言って、ボンをからかっている。
さて7月中旬、ぼくはラジカセ売場を離れた。 前にも言ったが、ぼくは元々エアコンを売るために日立から派遣されていた。 エアコン売場のほうも、それを見越して日立のエアコンを仕入れていた。 しかし、ぼくが小物やラジカセの売場に行ったため、在庫が残ってしまっている状況だった。 見かねてエアコン売場の責任者が、「しんた君、日立のエアコンどうするんね? 売れ残っても返品できんよ」とぼくに言ってきた。 日立のIさんからも、「エアコンシーズンが終わったら、ラジカセに戻ってもいいけ、とにかくシーズン中はエアコンを売ってくれ」と言われるようになった。 梅雨明け間近だった。 エアコン販売は、梅雨明け後1週間が勝負と言われている。 ということで、ぼくも意を決してラジカセ売場を離れた。
とは言うものの、この3ヶ月エアコン売場から離れていたので、ろくにエアコンを売ったことがない。 売り方のノウハウも知らないが、「とにかく気合だ」ということで、積極的に売りに出た。 すると、面白いように売れていく。 やったこともない工事の見積りまで買って出た。 「見積りに行くなら、タクシー使ってもいいよ」と言われ、交通の便のいい所までタクシーを使った。 のちに、事務所から「家電はタクシーの利用が多い」と注意されたそうだ。 その大半は、ぼくが領収書を持って帰ったものだった。
とにかく、梅雨明け後の1週間はよく売った。 が、ぼくには「何台売った」と言って喜んでいる余裕はなかった。 売場の責任者や日立からプレッシャーをかけられていたので、「何台売った」よりも「あと在庫が何台残っている」というほうに関心があった。
売れたのは、本当に1週間だった。 その後は曇りの日が続き、気温も上がらなかった。 しかし、ぼくは「奇跡が起こる」と思って、休まなかった。 結局振り返ってみたら、梅雨明け前から全然休まず、26日間ぶっ通しで働いていた。 休まないようになって20日ばかり過ぎた頃から、売場の責任者に「しんた君、もういい加減に休め」と言われだした。 それでも在庫がなかなか減らなかったから、「まだ大丈夫です」と言って店に出た。 もうエアコン販売のピーク時期は過ぎていたが、「1台でも多く在庫を減らす」という観念が休ませてくれないのだ。 そのうち、責任者も「今年はおかしいねえ。例年だとまだまだエアコンが売れるのに」と言いだした。 そして、休まなくなって26日目に、気象庁が「今年は記録的な冷夏です」と 発表した。 27日目、ぼくは店に行かなかった。
|