頑張る40代!plus

2001年11月22日(木) 長崎屋の思い出 5

ラジカセ売場にいたのは、5月から7月中旬までだった。
その間もフロアー長とヘルパーの確執は続いていた。
フロアー長は以前からいるヘルパーを一人一人商談室に呼び出し、面談していった。
以前のフロアー長の息のかかった者に、忠誠を誓わせるのが目的だったようだ。
以前登場したMさんなどは、頭にきて壁を殴り、指の骨にひびが入ってしまった。

以前からいるヘルパーといえば、ボンもその一人だった。
フロアー長は以前からボンを嫌っていた。
ボンはフロアー長に呼び出されて、「ここを辞めてくれ」と露骨に言われたそうで、その日一緒に飲みに行ったHTさんとぼくにそのことを言った。
ボンはあまり深刻に考えるタイプの人間ではなかったので、あっけらかんとしていた。
聞いているぼくたちも、あまり深刻に人の話を聞くタイプの人間ではないので、HTさんとぼくは面白がって、「それで、何と答えたんね?」と訊いた。
するとボンは、「“はい、頑張ります”と答えた。こう答えるしかないやろ」と言った。
ぼくたちはそこを突っ込んだ。
「“頑張ります”? 何を頑張るんね?」
「一生懸命に仕事をやる、ということよ」
「それはおかしい。“辞めてくれ”と言われて、“はい、頑張ります”と答えたら、『辞めることを頑張る』ということになるやないね」
「そういうニュアンスで言ったんやないんやけど・・・」
「いや、誰が聞いても、そう受け取るやろう」
「そうかのう?」
・・・その後も、ぼくたち3人で飲みに行く時には、いつも「あの時の“頑張ります”はおかしい」と言って、ボンをからかっている。

さて7月中旬、ぼくはラジカセ売場を離れた。
前にも言ったが、ぼくは元々エアコンを売るために日立から派遣されていた。
エアコン売場のほうも、それを見越して日立のエアコンを仕入れていた。
しかし、ぼくが小物やラジカセの売場に行ったため、在庫が残ってしまっている状況だった。
見かねてエアコン売場の責任者が、「しんた君、日立のエアコンどうするんね? 売れ残っても返品できんよ」とぼくに言ってきた。
日立のIさんからも、「エアコンシーズンが終わったら、ラジカセに戻ってもいいけ、とにかくシーズン中はエアコンを売ってくれ」と言われるようになった。
梅雨明け間近だった。
エアコン販売は、梅雨明け後1週間が勝負と言われている。
ということで、ぼくも意を決してラジカセ売場を離れた。

とは言うものの、この3ヶ月エアコン売場から離れていたので、ろくにエアコンを売ったことがない。
売り方のノウハウも知らないが、「とにかく気合だ」ということで、積極的に売りに出た。
すると、面白いように売れていく。
やったこともない工事の見積りまで買って出た。
「見積りに行くなら、タクシー使ってもいいよ」と言われ、交通の便のいい所までタクシーを使った。
のちに、事務所から「家電はタクシーの利用が多い」と注意されたそうだ。
その大半は、ぼくが領収書を持って帰ったものだった。

とにかく、梅雨明け後の1週間はよく売った。
が、ぼくには「何台売った」と言って喜んでいる余裕はなかった。
売場の責任者や日立からプレッシャーをかけられていたので、「何台売った」よりも「あと在庫が何台残っている」というほうに関心があった。

売れたのは、本当に1週間だった。
その後は曇りの日が続き、気温も上がらなかった。
しかし、ぼくは「奇跡が起こる」と思って、休まなかった。
結局振り返ってみたら、梅雨明け前から全然休まず、26日間ぶっ通しで働いていた。
休まないようになって20日ばかり過ぎた頃から、売場の責任者に「しんた君、もういい加減に休め」と言われだした。
それでも在庫がなかなか減らなかったから、「まだ大丈夫です」と言って店に出た。
もうエアコン販売のピーク時期は過ぎていたが、「1台でも多く在庫を減らす」という観念が休ませてくれないのだ。
そのうち、責任者も「今年はおかしいねえ。例年だとまだまだエアコンが売れるのに」と言いだした。
そして、休まなくなって26日目に、気象庁が「今年は記録的な冷夏です」と
発表した。
27日目、ぼくは店に行かなかった。


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