昭和56年の3月、ぼくはある大型電気専門店に就職した。 その秋、ちょうど今頃だったが、初めての泊り込み研修があった。 そのころ、会社をあげて電子レンジの売り込みキャンペーンをやっていたのだが、それを成功させるために、商品知識の勉強や販売の仕方などを徹底して社員に植え付けるための研修だった。要は自己啓発セミナーのようなものだった。 指導はシャープの“アトム隊”というところが行った。 市内の国民宿舎を借り切っての、一泊二日の研修だった。 朝早く集合して山に登り、国民宿舎に到着後、研修は始まった。
まず、研修期間内のルールが説明された。 説明はアトム隊の隊長と、アシスタント役の副隊長が行った。 隊長は目付きの鋭い、どすの利いた声の人だった。 対照的に、副隊長は優しそうな物腰のやわらかい人だった。 ルールは、 ・肩書きや敬称などを捨て、すべて名前の下に「隊」をつけて呼んだり名乗ったりすることが義務付けられた。 例えば「しろげさん」と呼ばずに、「しろげ隊」と呼ぶ。 ・名前を呼ばれたら必ず大きな声で返事をする。 ・研修場に入る時は、大きな声で名前を名乗って入る。 例「しろげ隊、入ります!」 以上、声が小さかったり、聞き取りにくかったりした場合は、「やり直し!」となった。 三回やり直しになると、バツとして天突き体操をやらされる。 天突き体操とは、スクワットのことである。 ・何班かに分け、班ごとに行動する。 ・1,2時間に一度のわりで休憩時間を設けるが、遅刻して入室した場合、遅れて入ってきた人の班全員で天突き体操を行わなければならない。 ・班ごとの競争で、負けたほうは天突き体操をしなければならない。 ・・・などである。 説明後、アトム隊の隊長が「じゃあ、声を出す手本を見せます」と隊長は副隊長の名前を呼んだ。 すると、優しそうな物腰のやわらかい副隊長は、急に人が変わったようにシャキッとなり、大声で「はい!」と言った。 これを何度も何度も繰り返した。 すると、副隊長がだんだん何かにとり憑かれたようになり、突然目の色が変わった。完全にイってしまっている。 隊長のほうは、最初からイってしまっている。 ぼくたちは、あ然として二人を見ていた。 異様な光景を見た後、今度はぼくたちが「はい!」の練習をさせられた。 それが終わってから、隊長が「今度は天突き体操をやってみましょう」と、先頭を切って天突きを始めた。 最初は10回ほどで、大したことはなかったのだが、あとでこれを嫌と言うほどやらされることになる。
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