1976年の9月9日、日本列島は台風が吹き荒れていた。 その日の午後、テレビで速報が流れた。 何だろうと見てみると、“中国の毛沢東主席死去”と書いてあった。 「そうか、毛沢東が死んだか」とぼくは思ったけど、特に何ということはなかった。 翌朝の新聞には、そのことがでかでかと書いてあった。 でも、予備校生のぼくたちの間では、そのことが話題になることはなかった。
さてその日、予備校からの帰りに喫茶店に寄った。 一人客がほとんどだったが、一組だけ男女5人ぐらいのグループがあった。 歳は20代前半ぐらいだったろうか。 その中に一人、大きな声で話す女がいた。 口調は妙にバカ丁寧で、上品ぶり、小難しい単語や外来語ばかり並べていた。 それが鼻についた。 他の客は静かにしていたが、その席だけが盛り上がっている。 とくにその女はノリにノッている。 仲間が合いの手を入れてやるので、調子に乗ってしゃべっている。 「そういえば、毛沢東死んだんだね」と仲間の一人が言った。 その女は毛沢東死去のことを知らなかったらしい。 大げさに「ええーっ!!」と驚き、「毛首相、お亡くなりになったのぉ?」と言った。 言い間違いだろうとぼくは思った。 でも、何度も何度も「毛首相が、毛首相が」と言っている。 『首相じゃないだろうが!』とそこにいた人全員が思っただろう。 彼女の仲間は誰も訂正してやらなかった。 もしかして、彼らは彼女のことを嫌っていたのかもしれない。
時々この手の人に会う。 話すのは勝手だが、知ったかぶりはいかん。知ったかぶりは! ウチの店のアルバイトで、このサイトの題字を書いてくれた甘栗ちゃんという女子高校生がいるが、その子は自分が何も知らないということを充分に自覚している。 よくしゃべる子ではあるが、自分の知らない話には決して首を突っ込んでこない。 別に丁寧にしゃべらなくても、上品じゃなくても、小難しい言葉や外来語を知らなくても、甘栗ちゃんみたいな人のほうが、本当の意味での賢さを持っていると思うし、人好きもすると思う。 甘栗ちゃんは「小泉首相」のことを「小泉しゅそう」と何度も言うが、全然鼻につくようなことはない。
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