家に帰って風呂に入ろうと思っていたら、NHKで教科書問題の特集をやっていた。 思わず見入ってしまい、風呂に入るのが遅くなってしまった。 内容はどうでもいいのだが、ちょっと思ったことがある。 教科書採択は各地域で行ったのだが、もしそれを全国レベルでやっていたらどうなっていただろうか? ぼくは、扶桑社の教科書が選ばれていたんじゃないかと思っている。 なぜなら、どこの地区も扶桑社VS他7社で協議をやっていたのだから、どこも扶桑社は最終の選択肢に入っていたのだろう。とすれば、各地域で何票かは扶桑社に入っていたわけだから、全国的に見れば7社で分かれる票よりは絶対に多かったはずだ、と思うからである。 「つくる会」の人は、記者会見で敗北宣言とも受け取れる発言をするより、視点を変えて「たくさんの支持を得た」と、もっと胸を張っていたほうがよかったのではないのだろうか。
さて、最近また歴史の本を読んでいる。 エッセイの中にある「私的日本史」を更新するための史料集めである。 また「歴史を捏造・歪曲しよう」という思いにかられる、今日この頃です。
今読んでいるのは、佐治芳彦の「日本人の歴史」という本だが、そこにちょっと面白いことが書いてあった。 「応仁の乱」が日本の歴史の分岐点になるというのだ。 内藤湖南が唱えた説だという。 応仁の乱以降が今の日本の文化や生活に直接繋がる歴史であり、歴史を研究するなら、応仁の乱以降を研究したら充分である、と言う。 さらに、公家中心のそれまでの歴史というのは外国の歴史と同じようなものであるから捨ててもいいとまで言っている。 そう言われればそうだ。 たしかに、応仁の乱以降は庶民の歴史である。 それ以前に秀吉のような庶民出身の為政者はいないし、写楽のような庶民の芸術家はいない。 そのことをこの本では、「下克上」が生んだといっている。 そして今もその風潮は続いていると言っている。 まあ、芸能界などを見たらそう思えることはある。 それともう一つ、下克上が生んだものがある。 女性の地位である。 室町末期は女性の地位が高かったらしい。 以下は、当時のヨーロッパ宣教師が見た日本人観である。 財産について、ヨーロッパでは夫婦間で共有であるが、日本では夫婦各々が自分のわけまえを所有しており、時には妻が夫に高利で貸し付けていたらしい。 離婚については、ヨーロッパでは夫のほうが妻を離別するが、日本はしばしば妻が夫を離別する。 また、ヨーロッパでは妻は夫の許可なしに家から外出しないが、日本は夫に知らさず自由に外出する。 ということである。 全然変わってないやん。 うーん、下克上おそるべし!
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