2001年08月08日(水) |
今日は「八幡大空襲の日」です。 |
今日は「八幡大空襲の日」です。 皿倉山の「八文字焼」は気がつかなかったけど、おそらく出ていたと思います。 八幡大空襲、この話は小学生の頃からさんざん聴かされた。 八幡駅前の防空壕の入り口を爆弾で塞がれ、多くの人が死んでいったといいます。 この防空壕に入れなかった人が助かった、という皮肉な話もあります。 当時は実際体験した人が多かったので、今のように「侵略戦争をした日本の罪」などというバカなことを言う人はいなかった。 純粋に、無差別殺人をしたアメリカへの怒りにあふれていました。 そのとき犠牲になった人たちも、いわゆる「戦争を起こした日本」を恨んで死んだ人はいなかったと思います。 おそらく、「アメリカの馬鹿野郎!」と叫んでいたと思います。
さて、この八幡大空襲の翌日、つまり8月9日、数機の爆撃機が小倉の造兵廠を目指して飛んでいたそうです。 ところが前日の八幡大空襲の煙と曇り空のため、目的地が確認できず、たまたま晴れていたところに一つの爆弾を落として行きました。 そこが長崎だったのです。 おそらくその時も、長崎の人たちは「戦争を起こした日本のせいでこうなった」とは思わなかったでしょう。 やはりそこには「アメリカ憎し!」があったと思います。 もし、アメリカが言うように「戦争を早く終わらせるため」の原爆なら、2発も投下する必要はなかったと思います。 ところで、その爆弾を投じた人間は、1ヵ月後に長崎を訪れたそうです。 果たしてその時、その人は「長崎の人に大変申し訳ないことをした。でも、戦争を早く終わらせるために仕方なかった」と弁明したのでしょうか。 当時アメリカ人の持つ日本人(ジャップ)のイメージは「猿以下の獣」だったといいます。 獣相手なんだから、何でもありだったわけでしょう。 「猿以下の獣」に誰が「罪の意識」を持つでしょうか。 誰がまともに謝罪するでしょうか。 世論に対しても、あとから綺麗事でもなんでも並べて誤魔化しておけばいいんだし。
大空襲や原爆投下は、国際連盟で「人種差別撤廃」を叫んだ日本人に対する欧米人の回答、つまり見せしめだったとぼくは思っています。 彼らは「白人に逆らったらどうなるか、よく覚えとけ」くらいの気持ちだったのでしょう。 ふざけるな! 今日は「八幡大空襲の日」です。 「アメリカ憎し!」の思いを抱いた大勢の人たちが亡くなった日です。 ―黙祷
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