行人徒然

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それは欺瞞ですかね
2004年05月29日(土)

 ちょっと早起きして皮膚科に行く。医者に通うために電車に乗るたぁ・・・・なんだかなぁ。しかし、通っている医者が会社の側(でもないけど)だと、そういう事になるのは当然か。しこりはちょっと残っているものの、もうほとんど気にならないくらいになった。探さないと見つからないくらいなので、もう通う必要はないかもしれない。ただ、かゆみの再発が来ているので、その当りはどうなんだろう。
 昼前に終ったので、おばあちゃんの顔を見に行ってもいいかなと思った。父さんと母さんが、先に出かけてるから、電車で追いかければトントンくらいになるだろう。
 おばあちゃんにそんな頻繁に会ってどうするんだという感じもするんだが、とにかく会えるときは会おうという気持ちが、おじいちゃんが死んでから強くなった。考えてみれば、もう90をとっくに越えているんだから、何時死んでもおかしくないのは間違いない。
 死にそうになったからって頻繁に会いに行くと、元気な時にもっと会っておけばよかったという後悔が残る。急に死なれても、もっと会っておけばよかったと悔いが残る。だったら、会えそうなときにはできるだけ時間を割いておいたほうがいい。
 自分がいかに死者に対して親切だったか。献身的だったか。そんな自己満足のためかもしれないが、会えるときに会っておかないと、もう、全部が全部、記憶の中にしかなくなって、擦り切れるテープのように不鮮明になってしまう。何時でもあると思っていたものが二度と触れられぬ蜃気楼になる。
 違うな。
 蜃気楼というのは、どこかにその実態がある。
 死んだ人の思い出というのは、気持ちの中にあるあいまいな記憶や思いこみだけで、その本人という実体はもうどこにもない。
 ならば、それは幻とでも言うのだろうか。
 かつてあった実態を思い出す幻。

 そんな事を考えつつ、父さんの携帯に電話して最寄駅まで迎えに来てもらう事に。大宮から西日暮里まで出て、私鉄に乗り換えて一路千葉へ約2時間の小旅行。
 叔母夫婦も、おばあちゃんもいつものように迎えてくれて、あたしは同じ話を繰り返すおばあちゃんと二人きりの同じ会話を楽しんだ。いつもの事だ。なにも変わるところはない。でも、それでいいのだと思う。なんでもない日常というのは、同じ事のくり返しなんだし。
 夕方、幸恵従姉とその子供達にあった。食事をご馳走になったのだが、おばあちゃんはあまり食べなかった。いつもの事らしいが、ちょっと心配かもしれない。




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