行人徒然

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波間に・・・・
2001年06月26日(火)

 いかりや長介の自伝を買った。

 自分にとって、ドリフ・・・と言うか、「8時だよ!全員集合」と言うテレビ番組の意味は大きい。もたらされた影響もものすごくある。
 当時、月曜はこの全員集合派と「風雲たけし城」派でクラス中が分断されていたもんだけど、学年が上がるごとにドリフ派は減っていってた。
 あたしがドリフにあったのは小学校にあがる直前の春。妹の出産を控えた母親が、あたしと妹を彼女の兄夫婦の家に預けたところから始まる。土曜日に初めて見たドリフは、まだ幼かったあたしにとって未知の時間から始まり、未知の世界を教えた。8時はそれまでお休みを言うための時間だったのに、土曜日だけはドリフの時間になった。
 あたしは荒井注のドリフを知らない。あたしにとってのドリフは志村けんのドリフ。プロデューサーの書いた本を読んでも、いかりや本人の自伝を見ても、その他、もっと古い人の話を聞いても、そのころのドリフはもう駄目で、いつやめてもおかしくないような状態だったと言う。でも、それでもあたしはそんなドリフが大好きだった。
 帰宅後、父親に苦笑して「ドリフ見るのか」と言われたことを覚えている。6チャンだよ、と言われていそいそテレビを回したのも覚えている。そう、あの頃テレビのチャンネルは「回す」ものだった。住んでいた団地の間取り、父親の顔、膝の上。母親の笑い顔。古い、大きなテレビ。みんな、ドリフという言葉で思い出せる。
 あたしにとって、ドリフって何だろう。
 思い出すのは家族の笑い声。一番幸せだったかもしれない時間。暖かくて懐かしいぬくもりの時間。テレビの中にある、日常的な非日常。
 どうしてこんなにドリフが好きなのか知らない。加藤茶や志村けんは?と聞かれれば、首を横に振る。単独は好きじゃない。志村けんの馬鹿殿シリーズのギャグは嫌い。後続の「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」はあまり面白くなかった。高木ブーや中本工事がお店を開いているのもどうでもいい。メンバーがそろった「ドリフスターズ」が好きなのだ。荒井注でも駄目なのだ。
 自分にとってのドリフって何だろう。
 最近よく見かけるドリフ関係の本。片っ端から読んで、いろいろなシーンを思い出して切ない。
 自分の情けなさを笑いとして供するけど、けして他人を馬鹿にしなかった(と思う)ドリフの笑い。ナンセンスギャグの宝庫。
 最近のお笑いが嫌い。人を馬鹿にして、おとしめてとる笑いが嫌い。一生懸命頑張る姿を笑う、今のお笑いのやり方が嫌い。一生懸命って何が悪いの?人を裏切って、裏切られた姿を笑うお前達は嫌い。だから、そんなお前達の出るテレビは見ない。

 ・・・あたしにとって、ドリフって何だろう。

 思い出せば切ない。きれいに美化された幼児期の思い出なのかもしれない。



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