そらをみあげたら、とてもほしがきれいにひかってた。 あしもとをみたら、タバコのすいがらと、だれかのすてたコーヒーのあきかん、 つぶれておちてた。 ひとにめいわくをかけているのにそれにきづけないひととか ひとのきもちにきづけなかったり、 ひととのきょりがうまくとれなかったりするひとは、 「ぜんとうよう」っていうところがこわれているひとと おなじこうどうをとっているんだって。 おなじっていうか、 けいどのしょうがいしゃとおなじだって、 きょうよんだほんにかいてあった。 それくらい、 「ぜんとうよう」がはったつしてないんだって。 そしたら、きっとぼくも「ぜんとうよう」がこわれてる。 みんなきっとこわれてる。 だって、にんげんがいきていくとき、 しらないうちにだれかをきずつけ、めいわくをかけていくんだって、 だれかがずっとまえにいってた。 いきをはくと、むねのなか、 こおりがきりになってそとにでた。 そうして、こころのなかはまた、 つめたくこおっていくんだね。 いつかはるがくるまで。 たいようをさがして。
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