生きているものは、全て電気刺激で動いている。 その電気刺激を体内で発生させる事が不可能になった時、生命体には死が訪れる。 生命体というものは基本的に有機物でできているが、意志を持って動いている時は生命体と呼ばれ、死が訪れた生命体は、ただの有機物の塊にかえる。 お前だってそうだろう? お前の叔父が死んだ時、お前もそう実感していたろう? それともお前、叔父と飼い猫では、猫の方が身近だっただけに、感情的に受け入れられないというのかい?甘ったれだな。 わかっているんだけど、そしたら、死んだその生命体の考えていた事や、感情は、どこに行ってしまうのだろう。 たとえば誰かを好きだという気持ち。 なにかを守りたいという気持ち。 なにかに執着していた気持ち。 伝えたかったこと。 知りたかった事。 全部、どこに行ってしまうのだろう。 記憶も、行動も、感情も、全て脳の中で電気信号として伝えられ、繋がっているのは知っている。そしたら、もう一回電気が流れたとしたら、その感情や記憶は、この世に戻ってくるのだろうか。 戻ってこない。だって、呼吸が止まってから60秒以上経つと、記憶にも支障が出てくるのを知っているから。60秒の間に、記憶はどこかに消えていく。壊れた細胞とともに、本当にただの有機物になる。 でも、あんなに強かった思いは、どこに行ってしまうのだろう・・・ 自分が死ねば分かるのだろうか。 死んでわかっても、誰にも何も言う事ができないまま・・・ 家に帰ったら、修二の寝ていたベットはなくなっていた。買ったやつも、あたしが作った方も。どっちも、いっしょに焼いてきたそうだ。 食器もきれいに洗われてなくなっていた。水のみは捨てて、お椀と残ったペットフードは隣家にあげるらしい。隣家にも猫がいるから。 猫は死んでから数日間、そのまま家の中に留まっていると名倉は言っていたが、あの子が寝るところも食事をするところも、もうこの家には無い。 ベットがなかった時のように、私の布団に入ってきたり、お腹の上で丸まっているならそれでもいい。だが、お腹を減らして食事中に足元で鳴いているのに気づけなかったらかわいそうだし、気づいてしまったら悲しい。 あたしには見えない方がいい。見えてしまったら、きっともっと悲しい。
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