西方見聞録...マルコ

 

 

フジタのW字曲線 - 2016年08月11日(木)

さて、兵庫県立美術館でやってる藤田嗣治の展覧会行ってきたよ。

日本とヨーロッパと2つの文化に異邦人として対したフジタの苦悩と狂乱の高揚をちょっくり異文化コミュニケーション的に解釈してみたよ。




人は異文化の地へと移動すると、認知と行動と情動のずれから(異文化風の行動をまねすることはできても心にしっくりこないとか)ストレスを感じそこから心身の状態を崩してしまうことがある。俗にいうカルチャーショックだ。
カルチャーショックの進行はU字曲線を描くといわれている。
異文化に突入して何もかもキラキラしてワクワクしちゃうハネムーン期、ストレスためちゃって何もかもにイライラしちゃう批判期、そんで相手文化に適応して、統合される統合期、とまるでUの字を描くように心の浮き沈みを伴い進行する。




そんであまり言われていないことだけど、帰国時にも同じ心のメカニズムが働いてリエントリーショックというカルチャーショックと似た落ち込みと立ち直りを人は経験するという。

なので異文化と出合ったとき、そして数年を経て自文化に戻ってきたときと2回の谷間と立ち直りがあるので、異文化間を移動するとき人の気持ちの上がり下がりはW字曲線を描くと言われている。

そんで藤田なんだが、フランスに到着してすぐのなんか寂しいパリの情景は、カルチャーショックで沈んでるなって感じがするけど、すぐに画壇の寵児になって絵は高値でバンバン売れて狂乱の統合期を迎える。すごい気持ちが上がってる感じ。その頃彼はあの西洋人の喜びそうな東洋人のスタイルなんだがやや過剰適応気味のようにも感じる。

また彼はそういう自己演出の好きな人なんでないかなと思う。当時の彼の自画像を見て感じたんだが、裸婦の髪を描き方とかわりとさっくり処理してるのに、自画像のときは黒髪の一本一本までものすごい丁寧に描き込み、目の瞳の描き込みも半端ない執念で描いている。肌は美しいが目とか髪とかはあんまりしっかり描かれない裸婦像と好対照だと思った。まあ言葉は悪いけど、ちょっとナルシー入りつつの自己像を提示している。

そして南米を放浪したりしつつ、戦前の日本に帰ってくるのだが、彼は激しいリエントリーショックに陥り、帰国後不適応を起こしていたのではないのか。そこへ戦争の絵を描く話が持ち込まれる。彼は髪を丸刈りにしてまたもや激しい過剰適応としてものすごい熾烈な戦争絵画の執筆者に変貌する。

しっくりこない文化に受け入れられようと「過剰適応の狂乱」。そしてその中で生み出される奇跡のような絵画群。

二つの文化の間でその時々の「異文化」に適応するために絵の才能を燃やした藤田の過剰適応の物語として今回の展覧会は構成されていたように思う。

だが、1922年フジタの描いた「バラ」という作品は、自己演出とは無縁であるけれど、そこにある確かな彼の才能の存在証明を私たちに突きつける。


、、、ところで兵庫県立美術館、、この藤田の変装セットは私たちに何をさせようとしてるんですかね、、




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