西方見聞録...マルコ

 

 

塩田千春展 3たび - 2024年09月15日(日)

きょうは夫あめでおさんと二人で大阪中之島美術館に塩田千春展「つながる私(アイ)」展https://nakka-art.jp/exhibition-post/chiharu-shiota-2024/を見に行ってきました。












塩田千春展.2008年2019年と3度目の塩田千春展でした。

2008年には当時国立国際美術館のキュレーターをしていた畏友Akikoさんを通じて6歳と11歳の娘と彼女たちの靴を「DNAからの対話」という作品に提供していたので、まあ彼女たちと3人でその靴を見に行ったのですな。↓これね。




結構激しい美術展で、これが彼女らの初めて美術館経験でした。

2019年はもうかなり怪しい感じの父母と兄とのたぶん最後の旅行の帰りに、父母兄と解散したのちに、昔の保育園仲間との逢瀬の前に、六本木の森ビルに1人で見に行ったんですな。

そんで今回は夫の人と二人で行きました。

夫に2008年の作品への娘たちの靴の提供の話をしたので、「塩田千春が幼少期から過去の作品今までを語るビデオ」を観たいと主張して、二人でがっつり見ました。(普段こういう映像はスルーしちゃう夫の人なんですけど)

絵がかけなくなって「絵になるパフォーマンス」を始めた話、2008年の国立国際美術館での「DNAからの対話」のために靴を2000足集めた話(これの1足が我が家の靴だったのです。姉娘が履いて妹娘がおフルを譲り受けて2人で共有してはいたドレミちゃんの絵の入った紫色の靴でした。)森ビルでの展覧会前のがん治療の話も語っていました。

塩田千春の毛糸の物量で展示する夢のような空間と、血みどろになったり無数の管に血が流れている感じの中で裸体で寝そべってる展示の間にある激しいギャップがインタビュー映像を見るとつながれる感じがしました。

夫の人と話してなんとなく共通見解として
「夢みたいな毛糸の展示に多くの人はひかれてくるけど、この人は血みどろの怖い感じの展示のほうが言いたいことで、こういう核がないと夢みたいな展示は生まれないのかもしれない。怖くて目をそらしたいほうが核でみんなが見たいほうがそこから発生した湯気みたいな感じ」という感想を得ました。

2008年の時の子育ての話の共有や2019年の時のなんとなく父母の死の訪れを感じながら見た展覧会の時の感想の共有もできて、まあよかったです。(子育て鉄火場の2008年も、介護真っ盛りの2019年も落ち着いてこういう話をあめでおさんとする環境になかったんだよねえ、しみじみ)

夫あめでおさんは「こういう人は藝術で食えるようになるまで、どうやって生きているのか」にすごく興味を持って、芸大が「教育の成果」を文科省に求められてこういう育てたくて育つタイプじゃない人をどう育てていると説明するのか、とすぐさま大学という場の説明責任のほうにも考えを巡らせてて、芸術と対価と社会についてもちょっと考えちゃうのでした。


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