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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■【クチミミ稽古日記〜1日目〜】朗読のコスプレ?
朗読公演の稽古をしています。
本を読むひとのお芝居は作ったことがあるけど、舞台の上でほんとうに本を読むのは初めてで、何から何まで試行錯誤の4時間。
朗読家のひとにとっては当たり前で考えるまでもないことなのかもしれないけど、やることすべてが「ほお。」「なるほど」「へえ」「そんなっ?」の私たちは、本の持ち方と座り方・立ち方だけで稽古の半分くらいを使って試行錯誤していたのでした。
もうひとつ、改めて考えたのが、<言葉に感情を込めるということ>について。演劇にも台詞はありますから、そんなことは当然、これまでにも考えたことがあったはずなのに。言葉だけの世界になると、俄然クローズアップされてくるのです。
「声を出して物語を読む」という行為には子供のころからなじみがあるので、「あんな感じね」とイメージしやすいのかなと思います。「舞台に立って台詞を言う」ということはそれに比べると一般に馴染みのない行いなので、ちょっとハードルがあって、ハードルのところで多少考えるために「朗読」ほど、「あんな感じね」感少ないのかもしれません。
読んで内容を理解する前から共有できるような<あんな感じね感>が、内容を際立させるはずはなく、そんな架空の<朗読幻想>に沿って気持ちよく読んでしまうと、うっかりすると<朗読のコスプレ>のようなものになりかねない。<読んでいる>ことはすごくわかるけど、何を読んでるのかいまいちわからない朗読になってしまう。
そういうことに気づかせてくれた稽古でした。
まずは手当たり次第、ためしてみるかと思って(やるのは出演者ですが)ちょこちょこ注文をつけて試してもらっていたのですが、
「内緒話バーション」のとき、学者のセリフがとても聞きやすかったので、
※注 この物語には、学者の卵と瀕死の兎が出てきます。
「何をしました?」と出演者の片桐慎和子さんに、聞いてみました。
「何を?…えっと…感情を込めることを考えてませんでした。」
ほお。
そういえば、読んでもらっていると、兎の台詞のほうが断然意味がわかりやすい。この兎は何を考えてるのかわかりにくいので、既存の感情をこめようがないのです。そもそも瀕死の兎がしゃべるときの感情のこめ方を誰も知らないので、こめようがないのです。
なので、言葉の連なりを手掛かりに発音するしかないのです。
一方、学者のほうはなまじっか日本語を話す人間で、瀕死でもないので、うっかりすると<感情を込めて台詞を読もうと>してしまいます。知らないひとの知らない感情を容易に込められると思ってしまう時点で、実はどんな感情なのかあまり考えてないということなのかもしれません。
どうにも、学者の台詞がわかりにくかった理由はもしや<感情を込めて>読もうとしていたことに原因があるのか…???
前回の(道の階の)ときと同様、出演者がひとりなので、稽古場には私と出演者のふたりだけです。ふたりで一生懸命考えてみました。
その結果、分ったこと。
読む人が自分の知ってる世界の<感情をこめて>読んでしまうと、登場人物が物語の中で何を考えてるのか、わからなくなってしまう。読む人の感情を登場人物の言葉を通して表現しても、それは物語を理解する助けにならないのです。読む人は物語の中にいる人ではないからです。
さて。
考えるのは一緒にできても、演出する係は私なので、ダメ出しは私が出演者に言葉で伝えなくてはなりません。出演者も、演出家がダメ出しするのを待っています。
※ダメ出しって言葉はあんまり好きじゃないのです。目的は要望や意見を伝えることであって、ダメなところだけ指摘するわけじゃないと思うので。もっと前向きな表現はないでしょうか。
混乱の末に、こんな風に(ダメ出し)してみました。
「可能な限り、分りやすく読もうと思わないで台詞を読んでもらえますか?」
「…今のだとわかりやすかったですか?」
「わかりにくかったです。このままだと、とてもわかりにくい。」
「???」
ひどい会話になりました。
自分の表現力の乏しさが悲しい。そして申し訳ない。ごめんなさい。
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07月19日(金)
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