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ゆれるゆれる
by てんのー
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■本多孝好さんの
本多孝好『MISSING』。
正確にはまだ読み終わってませんが。
俺いわゆるミステリーってほんと読まないんだよな。
読まないからうかつなことは言えないけど、ほら、殺される人物が、ただ殺されるためだけに出てきて、筋書き通り殺されてる気がするから。
むきになってジャンル分けをするのも変だけど、とくにミステリーと言われる一群は、書き手を選ばずやたらステレオタイプな描写、造形が多い。
つまりは事件の構成のために都合のいい職業やら年代やら性別やらの人物が、とってつけたように利用されていることが多い。
「エイズが来たみたいに」発言で名高いM前首相もびっくりの博愛主義の巣窟だよ。
とさんざんにこき下ろしておいて、MISSINGに手をのばす。
この人の本読んだことないけど、ダビンチ誌上ではいつもすごい人気なんだよね。
都市伝説を巧みに描く、とか。心地よい風が吹き抜けて行ったような読後感、とか。
「このミステリーがすごい!」なんかにもよく選ばれてるし。
で。
おもしろい。それなりに。
固定観念もかなり薄い。さすがに抑制が効いているというべきか。K応卒高学歴マンセー。
でもな。薄いけれど、あるんだよな。
文体はおしゃれで軽やか。「僕」がいかにもなインテリ崩れ風のコメントを連ねることで、言葉に飢えた女の子たちはますます本多作品に吸い寄せられていくだろう。
20年前だったら、「鼠」も登場して、つぶやいたに違いない。「やれやれ。」
ハルキ大先生の呪縛は21世紀も健在だ。
本多センセイにはがんばってね、といっておこう。
2回目を読みたくなるような作品がいいな、と。
俺は紙芝居を楽しみにしているんではない。
血湧き肉躍る大スペクタクル、涙なみだのストーリー、それだけで小説ってなりたってるものなのか?
根本的に力不足なんじゃないか、と思う点がかなりある。
おそらくそれは、書くほうの力量と同時に、読む側の力量についても。
だってさ。『源氏物語』は、ヤリチン貴族の性遍歴小説じゃないだろう。もちろん宮廷の陰謀ドラマでもないし、王朝大河ドラマでもない。仏教思想ドラマなわけもない。
俺たち一般人が小説を読むとき(映画を観るときも)の技量なんて、子供がヒーローもののアクションを見るのとそんなに変わるわけじゃない。
物語の展開にどきどきして、興奮したりがっかりしたりするだけだ。
でも、書く側の人間の技量がそこでとどまっていては、ねえ。
つまり主人公の「僕」が、限りなく作者その人に重なっているようだと、こいつは実はこういう人格しか描けないんじゃないか、ということになるわけで。
たとえばカズオ・イシグロ『僕たちが孤児だったころ(原題"When We Were Orphans")』では、作者自らインタビューで「語り手の“私”を信頼しすぎないで、文章の裏の意味を読み取ってほしい」と話している。
“私”はいかにも冷静そうに事態に対処していくのに、小説の中の現実とはだんだんズレが生じていく。“私”がなにかとんでもない思い違いをしていることが、読者に少しずつ分かってくる・・・というしくみだ。
こういうのを読むと、ああ力量だなあ、と思う。
まあ、現代イギリス屈指の大作家と比べちゃかわいそうでもあるけれど。
んでも、これだけ書いたってことで、俺が本多センセイにそんじょそこらじゃない期待をしているということははっきりしてるんじゃないかと思ってます。
おもしろいんだよ。でも。
あとは、もう一回読みたくなるような・・・。
10月19日(日)
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