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Kenの日記
by Ken
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■ドヴォルザークのピアノ協奏曲
ドヴォルザークのピアノ協奏曲を武蔵浦和図書館から借りてきました。演奏はピアノがリヒテル、カルロス・クライバー指揮のバイエルン放送交響楽団です。とんでもない組合せの演奏者と馴染みの無い曲です。この演奏は1976年の6月にミュンヘンのスタジオで録音されたものです。クライバーとリヒテルの二人が共演した唯一の作品・録音であり、もちろんこの組み合わせで演奏会で演奏されることはありませんでした。リヒテルが61歳でクライバーが45歳です。この年齢から考えると「ドヴォルザーク」を選曲したのはリヒテルだろうと思われます。
2015年4月にベルリン・フィルに客演したムーティがインタビューで面白い逸話を紹介していました。ベルリン・フィルとの演奏会でムーティリヒャルトシュトラウスの「イタリアより」という珍しい曲を取り上げたのですが、その理由には「リヒテルとの出会い」が絡んでいるというものです。少し長いですがHMVのホームページの記事を引用します。
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私の持っている「イタリアより」のスコアには、“1968年4月”という書き込みがあります。もう随分昔のことです。この時まで私はこの作品が存在することさえ知りませんでした。私がフィレンツェ五月音楽祭管を初めて指揮した時ソリストはスヴャトスラフ・リヒテルでした。彼はモーツァルトとブリテンのコンチェルトを弾き、私はモーツァルトのシンフォニーとブリテンの《ピーター・グライムズ》の〈4つの海の間奏曲〉を指揮しました。これは私のキャリアの始まりで後にフィレンツェ五月音楽祭の音楽監督になりました。リヒテルとはそれから何度か共演しレコードも録音しています。
この最初の演奏会の後、彼(リヒテル)は私は言いました。“あなたはシュトラウスの「イタリアより」を演奏しなければいけませんよ”。私は作品の名前さえ知らず、スコアを取り寄せました。それが、この1968年4月のスコアなのです。私はリヒテルのことをよく知っていました。彼は少し変わった、有名でない作品に対する強い関心を持っていました。王道というよりは、横道を選んだのです。ちょっとした小路を行くことの方が、ずっと面白いと思っていた。
普通(音楽とは別に)人に“イタリアの好きな町は?”と聞くと、大抵は、ローマやヴェネツィア、フィレンツェといった答えが返ってきますよね。しかし彼は、“ノルチアやトラーニが好きだ”と言ったのです。いずれもメインストリームから離れた美しい小さな町です。それゆえ私にも、《ドン・ファン》や《死と変容》などの、一般的な作品を勧めませんでした。“いや、ぜひ《イタリアより》を勉強しなさい”と。そして実際に学んでみると、素晴しい作品だと分かりました。
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リヒテルは「王道よりは横道を選ぶ」ことがあったようです。カルロス・クライバーという若い天才指揮者と出会ってピアノ協奏曲を録音する機会ができました。リヒテルはベートーヴェンでも、ブラームスでもチャイコフスキーでもなく「ドヴォルザーク」を選んだのだと思います。演奏会にかける予定は全くありませんから、音楽への執着がとことん激しい二人は将来の聴衆に向かって録音したのでしょう。とんでもない名演だと思います。
リヒテルのピアノとオーケストラの伴奏が時に火花を散らし、時に寄り添って瞬間瞬間がとても濃密に進んでいきます。リヒテルがどの音域でも研ぎ澄まされた音を保ちながらも「PPからFFF」まで表現すれば、オーケストラは全ての音符・休符を細やかな思い入れ持ってを表現しています。リヒテル・クライバーの天才が織り成す別世界のようです。
06月17日(水)
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