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今日の私
by かずき
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■『モーツァルト!』を見た。本当に。
開演前、帝劇地下に眠気覚ましドリンクを買いに行きました。
そうしたら、確か薬局があったと思った場所にはシャッターが。
隣の店の人に尋ねてみたら「2年ほど前になくなりましたよ」って。
2年?!そんなバカな・・・、と思ったのですが、
私がここを利用していたのって、レミが自分的に最盛期の頃。
それはもう、3年以上前なのかなと、今更に気づいたら、
すごーく寂しくなってしまいました。月日って早い。
親切なお姉さんは、別の店への地図をくれたのですが、
何しろ方向音痴の私には迷ってたどり着けず、
結局、眠さがあるままに観劇を始めることに。
でも眠気覚ましの心配なんて全くない舞台でした。
『モーツァルト!』を見た!としか言えなかったです。本当に。
これがモーツァルトだったんだと、心から素直に思えた。
多分、どう考えてもそれは、鶴岡アマデに因る部分も大きいと思う。
パンフレットには芸歴は書かれていず、初舞台の子らしいけれど、
でも。こんなにこんなにやられてしまった。『中川-鶴岡モーツァルト!』に。
今まで、井上-明音と 中川-楓コンビしか観たことなかった。
明音アマデで観る『モーツァルト!』では、モーツァルトは、
もしかすると精神分裂病かも?と思わされる部分があった。
アマデは自分の心の不安や喜びの投影というように見えた。
楓アマデは無邪気で、ほとんどヴォルフと一体だけれども、
自分を「神童」としか見てくれない周りの人たちのイメージとして
随所でヴォルフを苦しめているのかな?というように見えていた。
どちらにも、コロレードが歌うほどの、「人には作り出せない才能」は
あまり感じられず、人間・ヴォルフの物語を見ていたと思う。
でも鶴岡アマデは違う。完全に、ヴォルフと別人格だった。
神に属する「才能」としてのアマデだと、考える間もなく感じた。
眉目秀麗なんて言葉で表しては勿体ないくらい整った美しさ。
ヴォルフの、人間的感情に振り回される部分を無視して作曲する。
形の良い眉を顰める様は、遥か高みから見下ろして不快さを表すと感じられる。
きっとヴォルフの中には、自分の意志とは無関係に音楽が流れ続け、
彼は音楽であることを愛していたからこそ書き続けもしたけれど、
人である身には重すぎる音楽だったのだと、自然に理解できた。
だからこそ、最後の演出効果?演技?には、驚愕した。
アマデのペンがヴォルフの心臓に刺さった瞬間。
アマデは完全に後ろを向いてヴォルフに向かっている。
そのヴォルフの顔が、一瞬、驚きに見開かれたようで。
「見えたんだ」と、私は思いました。彼には神の全貌が見えたんだと。
彼にだけ見えた、その瞬間のアマデの表情は、『レクイエム』の全て。
人には絶対に知ることのできないものを、その瞬間にヴォルフは見た。
そう感じたら、もう涙が止まらなくなってしまった。
観られて良かった。本当に、この回はそう思います。
『モーツァルト!』という作品自体は、やはりブツ切れが気になるし、
作品として素晴らしいものだとまでは思えないのだけれど、
これに出会えるのなら、もう一度だけ、もう一度だけ観たいです。
井上-鶴岡コンビも観たくなってるから、一度じゃダメかもですが(^^;
12月13日(金)
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